2016年12月3日土曜日

スクリーム・ガールズ~最後の絶叫~(2015)

スクリーム・ガールズ~最後の絶叫~


~理解できない~


〇はじめに
 誤字ってるな・・・





〇こんな話
 ちょっとそこの綺麗な彼女~、写真撮っていい??




〇理解できん
 結局どこまでが彼らの狙いだったかなんだよな~・・・

  被写体に辿りつくまでか?

  被写体をカメラに収めるまでか?

  作品として誰かに見てもらうまでか?

 何か欲しくなる 
    ➡ それを手に入れる 
       ➡ 手に入れたら自慢したくなる 
          ➡ 別のものが欲しくなる?

 この欲求が犯人の中でひたすらに巡っているわけだが・・・

 7から始まったことで今までにも同様のケースがあったことは自明で且つ個人ブログによる記事で繋がりは見出していたし、キャメラマンが芸術性に関しても言及していた。

 ここで疑問なのがコリーンが最終目標として芸術が1つの完成を見たとするのか、その芸術性が認知されたことで次の段階へと向かうのかどうなのかというところで。

 コリーンに関しては7から始まり9で終わりを見たわけだが、では3部作構成なのかどうなのか。1、2作目は対象に見てもらい3作目は出演交渉。7と8は死を写し出していたわけだが、9はたくさんの死の中に1つコリーンという生が写し出されている。コリーンという美がこれほどまでに際立っている?

 これは9枚目で完成したのか、3段落ちとして完成されていたものなのか。つまり彼らの芸術は1世代目なのか、3世代目なのか。2世代目に向かうのか、4世代目へ向かおうとしているのかどうなのか。

 犯人はコリーンの周辺人物から攻めていったわけで、これは彼女を追い詰めるためだったわけだが、最後にそのアートを認識する人間がいることにも目を向けてみると・・・

 う~む・・・

 アーティストなのか?シリアルキラーなのか?ってところもなんだよな~ というよりおそらくはこれがメインなんだが・・・



 いや待て、犯人たちが芸術家気質であったとしても彼らにその自覚が無かったらどうか。アートだとしたのは売れない?キャメラマンたった1人だ。犯人たちの意思(意志)というものは詳細には描かれていない。彼らは写真を撮ることでただ性的欲求を満たしているに過ぎないとしたら。

 そのキャメラマンが言う。SNSによるシェアのおかげで写真が似たようなものになっちまうと。そんな中違いを創り出していかねばならない、見出していかねばならない。

 トレース問題はよく問題になりますね。どこまでがパクリでどこまでがオマージュなのか。デザイン業界でも記憶に新しいことがあるでしょう。

 そうするともう何が何だかわからなくなってくる。これはアリなのかナシなのか。いやむしろアリなのではなかろうかと。王道を行くのか、邪道を行くのか。邪道が主流化したらそれはもうむしろ王道であろう。ではその世界での邪道とは何なのかと。

 SNSのシャアというのはより多くの人に見てもらいたい認めてもらいたいという承認欲求が大きい。それを満たす最善の方法はその時代の流行りに身を委ねるということである。より多くの者が注目してくれる。ではそのブームとはどのように巻き起こるのか。始まりはどこなのか。最先端を行こうとも誰かが付いてきてくれなければブームにはならない。


 それに対してこの犯人はどうだったのか?


 これに追随しようとする、いやその芸術性を自分のモノとしてしまおうとしたキャメラマンがいた。


 アートというのは結局誰かしらに認めてもらわなければ確立しない。アートを定めたのはアーティストというよりそれを批評する側だ。犯人の芸術性は独りのキャメラマンが認めていた。それは犯人が求めていたこととは別物だったわけだが。

 この辺りを共犯の男との関係性で補完できると尚良いのだがね。ちょっとわかり辛いのよね。いやその理解というところをさせないことに意味があるのかもしれない。理解が及ばないものに対して我々はどのような感情を覚えるのか。





 警察が写真ではなく描かれたものとしてるんだよな。でも写真だよねこれ? 原題「The Girl in the Photographs」だし・・・。まぁいいや描かれたものだったとして話を進めよう。おそらくここも理解というところなのだろう。

 ここで言う理解とは自らの手で再現ができることと定義するが、時に人は理解できないものに感動を覚える。ではそれを理解した時に感動を覚えられるのか。

 犯人が写真を絵にて再現したということはつまり理解したということととれ、一番に欲していた彼女を自らの芸術に昇華した。

 写真ということでも、その構図を創り出したってことと、それを捉えた(収めた)というところでね。

 ではこのときに彼は何を感じ何を想っているのだろうか?

  満足なのか、さらなる高次元への欲求なのか・・・


 再三書いているが、ここがわからないったらわからない・・・・



とりあえず整理・・・


 アーティストなのか? シリアルキラーなのか?


 主人公は事件性(殺人事件)を疑い警察に相談するが、警察は証拠となるだろう彼らの作品を観て捜査に踏み切らなかった。シリアルキラー(事件)と認識しなかったわけだ。しかし個人ブログで彼らの犯行の関連性は指摘されており、彼らの存在を認識するや否やアート性(アーティスト性)を見出すキャメラマンがいた。

 ここから判断できることはえ~っと・・・ 

 鑑賞者に対して彼らの作品を認知させたってところでオチてるのかな~??


 ん~彼らの犯行に何を見るのか、そして彼らの作品に何を見るのか・・・ 写真の中の彼女に何を見るのか、見出すのか・・・





〇最後に

 この人をカメラに収めたくなるのはわかる。アナ・ケンドリックタイプだな。































 Claudia Leeね。追いかけようっと。あ~「キック・アス/ジャスティス・フォーエバー」のいじめっ子か。



 ではでは・・・

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