2016年12月2日金曜日

ザ・ハロウ/侵蝕(2015)

ザ・ハロウ/侵蝕

~郷と業~


〇はじめに
 デヴィット・アッテンボローは中学の時観せられたな~。



〇想起する作品
 「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)
 「もののけ姫」(1997)
 「地獄の変異」(2005)





〇こんな話
 アイルランドの森が消える。





〇業と郷
 過剰な森林伐採が問題視される。ただ適度に手入れをしてやらなければ森林としての機能を果たさなくなるなんてことも言われている。まぁこの機能ってのがどこの誰から見て都合の良いものやねんってのはまぁどっかで誰かが研究してくれてるのでねそちらを。

 要は自然の回復(再生)速度を人間の破壊速度が上回るというのが問題とされているわけだが。

 以前問題視されましたよね。樹齢何百年だか何千年だかの木を切るとその時代に閉じ込められた未知のウィルスが飛散することになるとかなんとか。氷河のボーリングと同じですかね。この作品もざっくりとはそんな感じ。


 アダムは森林を侵すことを仕事だと理解を求めるわけであるが、この理解とは人間へのものであって、自然に対するものではないと観せたのはおもしろい。反発する人間に対して理解を求めれば事態は解決するのか否か。まぁ反対派が0になることは無いので如何なる事態も解決(和解)に至ることは無いわけだが。ここで理解したいのは結局のところ賛成派反対派どちらにしろ自然の意思は介していないということ。木々は否応為しに切られるがままである。


 アダムの主張がイマイチわからないから混乱するのよね・・・

 あらすじには森林保護主義者と書いているが、彼は雇われの先遣隊だ。森林伐採に加担していると言っていい。森林の実地調査としているが、これは切っても良い木だと手入れのための選別とすれば聞こえはいいが、これは金になる木だと印をつけているとしたらどうか。

 前者であれば森林の乱伐を防ごうとしている側であり、後者だとすれば推奨派とは言わないまでも森林破壊の片棒を近いところで担いでいることになる。

 ここが判断できないとハロウが侵入者を襲ってくる意図が見えてこない。森林を維持しようとしている人間を排除しようとしているのか、その地が侵されようとしているから排除しようとしているのか。森林の維持はハロウにとってメリットがあるはずだからだ。


 まぁおそらく後者なんですよね。仕事のため、お金のため、何より家族のためと割り切っている。最後妻子を優先したことにそれは見て取れる。


 彼らのやってきた所業が最初に垣間見られる。




 この森を抜けた道が・・・ 

  境界線的な観せ方から


 開かれた道としているのは・・・ 

 人間が切り崩した・切り開いたということだろう。 










 どこまでもどこまでも山や森を切り崩していったが故に伝承の地にまで辿りついてしまった。今までにも散々あったことなのだろうが。

 この変遷で音楽のジャンルを変えているのも印象的だ。





 ラスト森林に日の光が差し込んでくるというので一味変わってくる。ハロウを炎と鉄で聖なる地を追われた者たちとしている。炎ってのは(日の)光で良いのかな? 木々の成長には日光は欠かせないもので。ではそれを受けて消滅するハロウとはいったいナニモノなのか。



 そもそもあの森は、彼らが逃げ伸びた先なのかそれとも閉じ込められた場所なのか。

 ハロウたちによって森林伐採を否定しているのかと思えば、結果的にアダムのおかげでハロウたちは外の世界へと進出できたわけで。ここでやっとなのか。ハロウたちを抑えていた森林を伐採することで外の世界への浸蝕が始まる。ここで初めて訴えているわけだ。

 つまりはハロウとは森の守護者では決してなく、森林こそが彼らハロウを閉じ込めている砦(牢)として機能しているものだった、ということになる。それを我々は破壊し解き放とうとしている。


 人間が森を侵しているように、彼らハロウもまた人間を侵そうとしている。我々は人間視点であるが故に、どうしても被害者感情が先行するが、彼らもまた生を謳歌しているに過ぎない。



 そんなことに目を向けると、最後のこの画は以前は共存を図っていた趣旨にも思える。以前は取り換え子というのが何かしら機能を果たしていたのではなかろうか。子どもを攫うのは家族にしたいからだとも言っていた。


 冬虫夏草が蟻に寄生し操るという話が出ていた。これは冬虫夏草が蟻を利用しているわけだが、この事象に対し蟻は冬虫夏草を排除しようとはなっていない。敵対していないわけである。ざっくり共生しているわけだ。折り合いをつけていると言った方が良いか。

 冬虫夏草が闇雲に蟻を操ろうものなら究極は冬虫夏草という種も死に追いやられる可能性が出てくる。まぁ別の方法を選択するということもできるわけだが。

 関係性としては多少異なるのだが生態ピラミッドを思い描いてもらえれば良いだろうか。行き過ぎないように調整が図られるわけである。捕食者が捕食対象を喰い尽くしてしまったら捕食者は生きてはいけなくなる。それを受け捕食者の数が減少すればその捕食対象は増加する。元のピラミッドの形に戻ろうとする力が働くわけである。

 そんな中お互いうまくやっていきましょうよと共生を図るわけである。


 そんな関係性を人間とハロウとに当てはめてみる。劇中の情報からは人間が森に踏み込まなければ彼らは手を出してこなかったことになる。ルールがあったわけである。しかしそんな関係性が覆されるカタチとなった。人間側が一方的に壊すことになった。


 都会人が田舎者にやっかまれること。アダムが徐々にハロウに身体を浸蝕されていくこと。これが人間と自然との駆け引きにも通ずるわけか。

 郷に入っては郷に従え。主人公家族が移り住んできたことで描きつつ、大きくは人間が地球に住む上で、ということなのだろう。人間の出現よりはるか以前に地球に住んでいたものたちと、我々人類とはどのように共存(共生)を図っていくべきなのだろうかと。




 妻子が脱出した先には緑が芽生えているのよね。



 これはどこまでを展望するのだろうね・・・

 人間の行為も自然の一部として観られるというところまで描こうとしているのかどうなのか。





〇最後に
 以前この手の話流行ったんですけどね。最近無くなりましたよね(多分)。郷に入っては~ってところよりも、SF的な要素で「X-ファイル」や「遊星からの物体X」など好きだったらハマるところあるかもしれません。


 ではでは・・・

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