2016年12月28日水曜日

ハドソン川の奇跡(2016)

字幕翻訳:松浦美奈




 大分こちらに載せるのが遅くなってしまった・・・




~前例~


はじめに
 先日放送されていたアナザーストーリーズをチェックしてから鑑賞したのだが、何やらどこかで見た顔がいるではないか。ハドソン川の海軍だと言っていた男、ヴィンセント・ロンバルディだ。劇中は半信半疑だったが、エンドクレジットに‟HIMSELF”の文字が浮かび上がる。やはり本人だった。監督のリアルさを追及する上での粋な計らい(こだわり)だったようだ。他にも関係者が出演しているとの記事があった。 



〇想起する作品
 「フライト」(2012)




〇こんな話
 ハドソン川の奇跡と呼ばれたお話。




〇英雄と奇跡
 このハドソン川の奇跡は9・11で始まったアメリカの暗雲に光が差し込めるニュースだったようだ。イラク戦争やリーマンショックを引きずっていたアメリカが新時代を迎える上での。奇しくも同じ日にブッシュ政権が終わりを告げ、新たに始まるオバマ政権の門出を祝うものとなった。

 今当に米国で新たに大統領選が行われているわけだが、再度この奇跡を作品として観せるには何かしら意図があるのではないか。オバマ政権にてアメリカの新時代が幕を開けたわけだが、いざ蓋を開けてみたら対外政策に関しては消極的であったとの声もある。そんな今だからこそドナルド・トランプのような変革を謳う少々過激な人間が人気を博してもいる。

 サリー機長を「英雄」として祭り上げ、ハドソン川の「奇跡」として語り継ぐ。ご時世がご時勢だけに明るい話題を取り上げ、何かのきっかけとしたい世間の目は頷ける。しかしここを一歩引いて観る。


 大統領選真っ只中のアメリカにこの作品を広める事が、クリント・イーストウッドの冷静さなのではなかろうか。ただ奇跡という結果だけを語り継げばいいのだろうか。その前後関係や背景はどうだろうか。

 最後のサリー機長が語る「全員が・・・」というところなのだろう。原題「SULLY」ということで、彼が起点(基点)として描かれているのは間違いない。しかし彼独りが英雄なのではない。あの場に直面した全員がいたからこそ、ハドソン川の奇跡として取り上げられた事態だったのである。「誰か」、ではない。「誰もが」、なのである




〇前例
 サリー機長が管制塔へ「エンジンが止まった」との連絡を入れる。管制塔の返しは当然のように「どちらのエンジンだ?」と。さらに管制塔で上に情報を上げる際にも全く同じやり取りがある。

 これが仮に前例があったとしたやり取りであれば、エンジンが止まったとの報告を受けた際に、もう少し広い視野で見ているはずなのである。両方止まっている可能性が頭に入っているはずだからだ。



 前例の無い事態へのアプローチを考える。

 今作で問題となるのは飛行機の着水というもので、着水の成功例は極めて少ない(前例が無い)のだとか。この事実を知っておかないと少々厳しいものもある。


 事故調査委員会の方たちがどうしても悪い風に映るのは致し方ないが、ここで陥りたくない危険な思想は、成功すれば何でも構わないというところである。結果が全てだからといって成功すれば何でも良しとできないのは言わずもがなだろう。

 機長の訴えが言い訳として映った人もいたのではないだろうか。自らの罪を逃れるために、正当化するために調査結果を突き崩したいのだと。ただの独りよがりではないのかと。


 百発百中の方法が常に選択肢としてあれば問題は無いが、確実にそうではない事態に陥る場合がある。その際の選択として例えばだが、100回の内99回成功する方法と、100回の内1回しか成功しない方法とでどちらを選択するだろうか。100回の内99回成功するが何かしら犠牲を伴うことになる方法と、100回の内1回しか成功しないが代償が全く無い方法とどちらを選択するだろうか。

 よりベストな選択とはどんなものだろうか。



 機長と調査委員会とでなぜ差が生まれるのか。乗客の命を守るというところでの見解の一致を見せないのはなぜなのか。

 結果からのアプローチにはなるのだが、前例を作ってしまう側と前例を作らないようにする側。リアルタイムでの事態への対処と事後調査。ここを踏まえなければならないだろう。そしてマニュアルという存在もだ。


 今回の対処は結果的に正しかったとの決断が下される。しかしここで解せないのは結局のところ彼だから成功させたと言う事実が後を引くことである。調査員の1人がサリーという要素が欠かせなかったと表現する。それに対してサリー機長の最後のフォローがあるわけだが、これだけでは補いきれないものがある。だからこその最初の機長の悪夢を見せているのである。

 サリー機長の悪夢(トラウマ)から映画は始まる。結果としては助かったものの、もしかしたら別の結末を迎えていたのかもしれないという示唆である。最悪の事態を回避した機長自身で描いていることに意味がある。これは彼が、彼自身が自らの選択に自信を持てていないという証拠でもある。

 結果的に確かにサリーが正しかったことになる。しかしその選択をする上では何を想い何を背負っていたのだろうかと。その選択故にもしや・・・、があったのではなかろうかと。事後判断されることよりも、その最中に何があったのかが重要なことなのだ。



 とある場面。搭乗するはずの便がキャンセルされたとかで搭乗口に駆け付けた家族。そんな彼らの搭乗を許可するスタッフがあった。この場面、本来踏むはずだった手続きをショートカットしている。彼女の機転によってである。これは彼女の臨機応変な対応であり親切心である。この現場判断こそがサービスを突き詰めることであり、逆にサービスという質に個人差が生まれる根源である。どこまで目が行き届くのか、気を配れるのか。そしてどんな事例に当たってきたのか。これは単純に個人の資質もあるが、大きくは経験という差がもたらすものだ。

 ここで注目すべきがマニュアルの存在である。これは何のために存在するのか。

 個体差を無くすためである。そして個々の能力の水準を高めるためである。正確には最低ラインを定める。そして引き上げる。これを航空会社(という組織)としては重要視しなければならないのである。個人の資質や能力(経験)に偏らない一定水準以上のサービスの提供。この場合サービスとは言わないのかな? 大まかに言えばこの対処をしていれば責任は逃れられるというもの。仕方なかった、やむを得ない事態だったと。

 サリー機長が乗員乗客の命を救うという信念と同じように、航空会社はこの前例を通してこれからの乗員乗客の命をも保証していかなければならないわけである。



 調査委員会の者が締める。コックピットにおけるやり取りを、録音テープを機長と副機長と共に聞いたのは我々にとっても前例が無いことだったと。ここで涙が出たね。

 この両者の姿勢が見えてきてこそ、この作品が真に問いたいことが見えてくるのではなかろうか・・・





〇最後に
 クリント・イーストウッドって全面的にではないにしろトランプ支持だったんですね。へぇ~。彼なりの頑固な考え方があるようで。「グラン・トリノ」でも何か逸話があるみたいで。世界はどうなっていくのでしょうか?

 ではでは・・・



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