2016年11月11日金曜日

レッドタートル ある島の物語(2016)

~起点(基点)と流転~


〇はじめに
 ジブリというブランドの「動」の部分を期待すると肩透かしを喰らう。


〇想起する作品
 「竹取物語」
 「鶴の恩返し」
 「浦島太郎」

  ・・・この辺りのものを感じた。


〇こんな話
 ある島の物語。

〇スパン
 とある男が荒波にもまれている様から映画は始まる。我々のこの作品へのアプローチはこの男が起点になる。とある男に始まる物語。

 男はいったいどこから来たのか? 

 これが全くわからない。とりあえず何とか島まで生きて辿りつき脱出を試みる様が描かれる。その試みに至るまでにも水を得たり食料を得たり・・・ 自然界の生と死のサイクルも描かれている。生態系とでも表現しておくか。


 では彼は脱出に当たりどこか目指すべきところがあったのか?

 


 ウミガメは陸に卵を産む。それが孵化すると亀の子供たちは海へと還っていく。これはなぜなのか。理由は様々あれど究極突き詰めればそのようにするからそのようにするのである。言わば本能である。彼らは産卵に当たりその場その場での適切な環境を整えようとすることはしない。今回はどの場所が安全だからという配慮は無い。ただ陸に上がり卵を産むという行為が行われているだけである。


 レッドタートルはなぜ陸に上がったのか。亀の子が海へと還っていく場面があっただけにレッドタートルも産卵に来たのではないかと想起される。つまりはメスである。

 イカダを幾度となく壊されたわけだが、海においては「亀>男」であったのが、陸の上では「男>亀」であることが示される。


 そんな関係性を踏まえつつとある変化が起きるわけだが・・・

 我々が認識した男という存在と赤い亀という存在の間に見ていたものが、たった亀が人のカタチを為したときにどう見えただろうか。しかも女性の姿となったらどう見えただろうか。亀が擬人化されたことで我々の見方は何か変わらなかっただろうか。


 ここからがうまかった。1人の男から始まった物語は女を巻き込み、男女愛へと発展し、それが家族愛となる。そして親子愛へと。さらに息子の旅立ち。この巡りを想わせる。


 そして津波だ。我々は男を起点にこの物語にアプローチしてきたわけだが、では津波とはどんなものなのか。彼らが生活している島では地震は起きていなかった。その前に外の世界があることを息子に描いて見せる両親の姿があったことを思い浮かべる。つまりは外の世界のどこかしらで地震があったことになる。要するに起点が彼らの住んでいる島とは別に存在することを意味する。


 男が起点となった物語に、別のところに起因がある現象が介入してくる。この辺りは最初の雨や生態系にてもひたすらに描かれている。


 ラスト女が亀に姿を変え、海に還っていく場面で幕を閉じる。タイトルは何だったのか。レッドタートルである。男を起点に見せた物語ではあったわけだが、ここで亀というスパンを意識させられる。鶴は千年、亀は万年。男という存在もとあるスパンで考えればその一部であり一瞬であり・・・、といった風に見えて来たりする。


 とある男に始まった物語。それは別の起点(基点)と出会い、別の起点(基点)を生み出し、さらにはその一連のサイクルという廻り(流転)を形成する。いや、逆にただ一部でしかなかったという見え方もできる。

 鶏が先か卵が先か・・・

 始まりがあるから終わりが来るのか、終わりが来るから始まるのか・・・

 この問いに明確な答えを持っている者はいるのだろうか? 

〇最後に
 こういった作品は何を見るのか、見出すのかは自由ですのでね。お暇があったときにひたすらに思考すればいいのではないでしょうか。

 ではでは・・・






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