2016年11月4日金曜日

マインズ・アイ(2015)

マインズ・アイ


~にらめっこ~


〇はじめに
 遊戯ボ~イ♪


〇想起する作品
 「スキャナーズ」(1981)
 「バイオハザードⅡ アポカリプス」(2004)


〇こんな話
 に~らめっこし~ましょ、あっぷっぷ:;(∩´﹏`∩);:



〇にらめっこ
 超能力、念力、サイコキネシス、テレキネシス、ハンドパワー・・・

 様々に表現があり能力者ものも多様化している中で、この作品ならではの何か違いを見せられるものがあると良かった。

 マインズ・アイというだけに視覚が大きな意味を持ってくるわけだが、ここが役者の眼力(顔芸)頼みでしかない。ここがウケればいいだろうが、私のツボではなかった。



 主にモノを動かすという力な訳だが、直接対象を認識しないと力が発揮できない。この制限はおもしろい。監視カメラの向こう側の人間をどうにかできない。アリスとは違うのである。



 そして視覚・視野というところの描き方。対象を捉えその後ろのものを動かす。優位に立てることも示している。

 しかし一方に集中しすぎると・・・



 


 こういった力の加減をもっと描き出してくれるともっともっとおもしろくなると思うのだが・・・ どこまでの事ができ、どこまでの事ができないのか。細かさの部分。大小の部分。それを観せておけば最後の力の作用する範囲の拡大が加減という部分がどうでもよくなるくらいに活きてくる。


 制限があるだけに父親を死なせて(殺されて)しまう。ここに怒りや復讐心を抱くわけであるが、ここの感情表現を念力と結び付けていないのが気になる。復讐というのは自らの手で行うから意味があるのである。自らの手で殺ったという感覚を刺激することで感情を払拭しようとするのである。

 しかし彼はモブキャラに斧を自らの手で振り下ろし、仇に対しては念力で斧を振り下ろしている。これでは事故と何ら変わりないのではないのか。殺してやるという感情が先行したわけだろ? 念力を越え自らの復讐心で手を汚すという覚悟を観せた方が個人的には彼の怒りは伝わってくる。そこで念力を使うのは冷静さに見えてしまう。


 最初に警察に捕まる件。彼は取り押さえられたことで制御できないと力を解放していた。感情に誘発され力が解放されるのか・・・

 ということは逆なのか・・・

 彼の念力の制限により父親を助けられなかった事を起点に考えれば、念力で殺すことで復讐を遂げるという事に意味がもたらされるのか。その時に守れなかった力で仇を殺す。うむ。






 このラストのにらめっこにもっていくために、





 看護師?(女)に注射をぶっ刺される男と、



 女に注射をぶっ刺す男の対比はおもろかった。



 もう少しいろいろと振り切れても良いと思うのだが・・・ できないことをやるよりもできることを考えて何かしら工夫してった方がこの手のジャンルはおもしろいんだがな。いやこれで振り切れてるのか。単に私のツボと合わないだけで。




〇最後に
 念力という力にどこか魅力を感じてしまうわけだが、その力の代償や不便さというところを踏まえ、且つ思っていたのと違う何ともグロテスクな感じを楽しめればいいのだと思うが、もっと何かしらできたのではないかという物足りなさが先行する。


 ではでは・・・





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