2016年8月20日土曜日

インフィニ(2014)

インフィニ


~差~


〇はじめに
 問題は時間のズレの設定を最後忘れちゃったことかな・・・ たった数分+52秒の旅を経て、なぜか妻との再会が何年も離れていたかのような再会になっている・・・  事故が起きてその事後処理において莫大な時間が掛かったのかもしれない。通勤時間も考慮するべきか。それほど危険な仕事という位置づけを考慮すべきか。究極「愛」というところがテーマだから別に気にならんでもないが。。



〇想起する作品
 「ボディ・スナッチャー」シリーズ
 「イベントホライゾン」(1997)
 「タイムライン」(2003)
 「インター・プラネット」(2016)


〇こんな話
 インフィニへGO。


〇差(ズレ)
 まずスリップストリーミングという移動手段に関して把握しておく必要がある。

 これは決してこちらにある物体をそのままあちらに送るわけではないということを理解されたい。一度そのモノをデータへと変換し、それを向こうで復元するわけである。簡単に言えばコピーを送っていることになる。FAXと思ってもらってもいいだろう。そして何よりデータ汚染(破壊)の恐れがあることを強調している。

 これがインフィニにおけるオーパスなるモノと掛かってくる。彼らは複製する力を持っている。

 妻の妊婦という設定もおそらくは。人間における生殖もただDNAを複製しているに過ぎず、隔世遺伝というものがあるようにDNAの中にも優劣が存在する。


 こんなことをまず念頭に置く。



では本題へ・・・

 まず最初に妻の認識する夫である主人公を見せた。そして父親になろうとしている彼。そして初任務にて同僚の友としての彼を見せた。そして生存者として映し出される経歴から見る彼。さらには我々が認識する彼も付け加えておこう。ざっくり言えばそれぞれに認識するウィット・カーマイケルという存在があるわけだ。

 そしてインフィニ到着後のひと場面。誰の救助だというコンピュータの質問に。ウィット・カーマイケルと打とうとし、W・Cとイニシャルだけを打ち込む。これによりその人物に幅がもたらさられるわけである。ウィット・カーマイケルだけを指さなくなるわけだ。

 ウィット・カーマイケルという人物の認識におけるズレと、W・Cとしたときの幅の広がり。ここで意味を持ってくるのが名前である。ウィット・カーマイケルと隊員たちは初対面ということで名前のやり取りが為される場面が多々ある。その人間を指したいときに、いちいちその人間を形作る特徴や経歴を並べ立て共通項を探るのではなく、複数間での共通認識としていちはやく機能するもの。それが名前なのである。


 次に彼らの任務。何をするために送り込まれたのか。そして何をするために帰ってきたのか。カーマイケルを連れ戻すために送り込まれ、家族に会うために戻ってきた。カーマイケルはひたすらに家族の元へ帰ると。これが彼らを突き動かすものなわけだ。目的、究極的には行動原理。


 そして時差の存在。ログにおける2分を誤差だと言っていたわけだが、これの意味するところが段々と分かってくる。最初に地球側でそれは描かれていた。今この瞬間旅立っていった者たちが次の瞬間に帰ってくる。半狂乱で。変わり果てた姿で。そして死を意味するデルタ・ロックダウンだと。地球時間とインフィニにおける時間。こちらで1分14秒が24時間だと。そして最後にあれだけの体験をして帰ってきたら地球ではたった52秒だと。


 ウィット・カーマイケルは早く妻の元へ帰りたいとするが、地球ではたった数分しか経っていない。ひたすらにズレを意識させようとしている。最初と最後で同じ検査のシーンを流しているのもそれだ。見方が、認識の仕方が変わってくるわけである。


 目の前で起きたたった数秒(数分)での変化と、インフィニにおける何時間にも及び晒された状況を踏まえての変化。先ほどまで正常だった人間たちが次の瞬間に半狂乱になるのと、徐々に徐々におかしくなっていく様を見せられるのと。このズレを我々は最初から最後までインフィニにおいて見舞われる感染という攻防を通して堪能させられるわけである。


 要はズレというところなのだが、簡潔にまとめておくと・・・

 スリップストリーミングにより一度データに変換されて再度復元されたものは果たして同じものか?

 その個人は他者と関わるわけであるが、それぞれが認識しているその個人は果たして同じものか?

 人は果たしてそれぞれ同じ空間で同じ時間を過ごしているか?

 そしてオーパスの複製能力ではどこまで再現されているのか?

 マシンやプログラムの新旧にも触れられてたりする。叩いて治るっていつの時代だよと。感染における発症時間の違いも個体差ってところなのだろう。


 これらのズレを踏まえさせられての、愛というテーマだ。
 
 ズレを繋ぎとめることに機能するのが、大きくは愛なわけだが。もう少し細かく見ていくと、1つに名前である。自我と言ってしまえば不確かなわけだが、自分は〇〇という名前の人物だという認識。そしてその名前の人間であるという他者からの認識。ここの共通認識によりその名前の人物を定めているわけである。それをさらに補足する上で最初と最後の質問攻めが意味を持ってくる。そして繋がるのが目的というものである。何のために生きるのかという行動原理。その人間を突き動かしているものである。これが誰かのためにという愛に繋がる。

 ではその愛とは何なのか? 誰かを対象に発現するものであり、では何をもってその者を愛するとするのか。そもそもその者とは何であるのか、誰であるのか。何を以てその者だと定義するのか、認識するのか。

・・・というところでして、
 

 その人物をその人物足らしめるものは、ざっくりと自身の葛藤と他者からの共通認識なわけである。そのために時に利己的であり、時に利他的でなければならず、ここを突き詰めるために進化論を持ち出している。


まとめると・・・

 劇中彼らは当初の自分からひたすらにズレた。元々ズレていたわけだが、今回の騒動でその差は広がったと言ってもいいだろう。そこをどう認識するのか、繋ぎとめるのか。


 愛する者が死んだとして、同じ姿形をしたクローン人間で代用できますか? 仮に元の人物と何ら変わりのない性格だったらどうですか?

 違う空間で、違う時間を過ごした人間を変わらず愛せますか? 例えば遠距離恋愛はどうですか?

 自分が知る相手がいたとして、自分より古くからその相手を知る者から伝えられた過去のエピソードにギャップはありませんか? それが一番仲が良いと思っていた人、好きだった人だったらどうですか?

 五体満足の人間同士、片割れが何かしら障害を負ってしまったとしたらその気持ちに何も変化はありませんか?

 ふと気持ちの共有ができていると思っていた人間と、認識のズレを感じたことがありませんか?


 私は、あなたは、いったい誰ですか?




 オーパスからアプローチすると、

 オーパスは進化のために必要な要素を探していた。正確には生存本能により進化が必要だと判断したのか。知能が備わっていないためにそこに意思は介在していないわけだが。最初は人間の捕食本能に目を付け、複製機能もあり劇的な進化を見せることになる。しかし殺し合いが行われるわけで、彼らの意図とは全く正反対の道を辿っているわけである。それが最後の対話にて説明されている。

 補足として、死した肉体(ゾンビ)がただ食べるという欲求のみで活動しているのは「バイオハザード」により知れ渡っているとは思う。まぁここで言いたいのは人間の根源には暴力というものがあることで。

 単純に弱肉強食、適者生存、自然淘汰等を考慮した場合には究極であるが強い者が勝つわけである。それ即ち力であり、他者を排除すること。劇中では支配や利己的という言葉を使っていた。しかし実際のところ生態ピラミッドを観ればわかるように、捕食者が生きていけるのはその捕食対象がいるからであり、うまい具合に調整が図られていくわけである。均衡を保つことこそが重要となってくるわけで。

 これを上に差(ズレ)としてひたすらに書いたわけだが。自身の内外における葛藤と衝突、人類(異種)との共存というところで、その埋め合わせとして機能するものを愛として補完するのである。





〇最後に
 なんかごちゃごちゃしてしまった。各自の理解に委ねます。

 ではでは・・・


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