2014年6月27日金曜日

名探偵コナン 時計じかけの摩天楼(1997)

名探偵コナン 時計じかけの摩天楼[DVD]


~天才 > 努力家~

〇はじめに
 劇場版第1作目 

〇想起する作品
 「ダイ・ハード3」(1995)

〇こんな話 
 コナンがキューピー3分クッキングを見ながら、カップラーメンにお湯を注ぎ、カラータイマーの音が途切れるのを待つお話。

 キャッチコピーは「3分間、じっくり味わってやる!!」

〇こだわり 
 森谷貞治(帝二)は完璧主義者であり、自らの創造物において完全なシンメトリーにこだわっている。名前を貞治→帝二の左右対称なものに変えたことでそれを強調している。そのこだわりの強さの演出をもう少しこだわって欲しかった。貞治の「貞」という字を見ていただきたい。貝という上のところの少し気になる横棒。これがシンメトリーを害している。治という字。これはどう考えても左右対称ではない。何が言いたいのかというと、彼の病的とまでいう芸術へのこだわりを、より強く表現したいのならば、貞という字だけをシンメトリーを害する字とした方がよかったのではないだろうか。治(じ)は左右対称の字であるべきだった。例えば貞二→帝二に変えたとすればどうだろう。たったその一画だけでも気になっちゃう感じ。気持ち悪いくらいのこだわり。当に病的ではなかろうか。 
 名前というのは誰かしらが付けてくれるもので、自分ではどうしようもないものだから名前の設定に関してとやかく言うのは不毛か。いや、せっかく付けてもらった名前を変えるということですでに病的と言えるのか。 

〇赤と青 
 爆弾処理をする最後のシーン。映画という位置づけでコナンと蘭が死なないことは明白。そこにどう緊張感をもたらすのか。赤か青かの二者択一である。そして3分という時間。 

 工藤新一に青色というイメージを作って欲しかった。制服、タキシードなどなど衣服に青いイメージはあるものの、決定的にそれを印象付けるものはない。赤を切らせようとする犯人の意図と、その伏線は申し分ない。だからこそ対立する青色のイメージをもっと強調してほしかった。蘭と新一とを結ぶ運命の赤い糸に対しての、新一の死を連想するような青いイメージ。何かないものか・・・。だめだ、私には思いつかない。しかしこれができたら赤を切るか、青を切るかというところに、さらに3分という制限時間で緊張感が増さないだろうか。まあ結局メインとなるところが、新一と蘭のニヤニヤ事情だから、赤か青かのところに焦点を当てられればこれでいいのか。


〇ひとつの真実
 この二人ののろけ要素はどうでもいい。前の項目と関連して、最後のシーンから読み取れることを勝手に読み取っていく。この最後のシーンで明らかになる真実。
それは、
~ 天才は努力家を凌駕する ~
という事実だ。劇中でちょくちょく天才という語が強調されていることがいい証拠だ。 

 まず最初に描かれる建築家として名を馳せる森谷帝二という天才。そしてそれと相対するのが推理の天才である探偵江戸川コナン(工藤新一)。物語の都合上、最終的に [工藤新一 > 森谷帝二] となることは必然。建築家としては天才であっても、犯罪を組み立てていく過程、これを努力とする。そんな結晶である犯罪に対して(推理の)天才である工藤新一にはどう転んだところで勝てない。これはどうでもいいので次~。 

 問題は、角ドリルこと毛利蘭という存在。彼女は工藤新一の番いである。これが劇中必死に温めてきた工藤新一の推理を、クライマックスであっさりと上回るのだ。爆弾処理のために赤を切るか青を切るかという事象に関して、工藤新一は過去のあらゆる情報を収集し、選別することである真相に辿りつく。これを努力とする。番いの蘭はどのように行動したのかというと、ただの勘である。・・・されど勘と。切りたくなかったんだもん、との一言。は? まあ彼女は空手の達人であるため、危険を察知する能力に関しては人並みはずれたものがあることは確かである。相手の攻撃がどこから飛んでくるのか、そんな日常に身を置いているのだから、何かしらの生の欲求からくるであろう危険を回避する特殊能力が身についていてもおかしくはない。推理をする上で現場に赴くものの、そこまでに生死のやり取りは無い探偵と、死合にすら発展しかねない蘭の置かれている環境。つまりこの最後のシーンで生き残るために求められたのは、蘭という直感を持つ才能、つまり天才だったのだ。いかに推理の天才工藤新一であろうと、生か死かの状況で生き残る天才である蘭には勝てようはずもない。新一も蘭に対して、こいつには勝てねぇみたいにジェラシーを覚えているシーンがメインストリームの方では描かれているのではなかろうか。

 まとめますと、その各々の現場、分野における適材適所といった天才・才能が求められていると。さらには適材適所における適者生存で厳選されていく。大概の人が自分の所属分野で確実に勝てない存在がいるわけです。そんな中、あなたはどうするんですかと。負けるとわかっている戦いをするのか、負けられない戦いがあると意気込むのか、勝ちゃあいいと嗜好を凝らすのか・・・。

 いや、新一との愛の力が彼女を生かしたのか・・・。新一の助けがあって蘭は最後の究極の選択を迫れる。二人の絆が、愛が、爆弾を解除に導いたというような見方が多数であろう。それじゃつまらなくないかと。こんな少し皮肉な、ひねくれた見方をしてみたらどう見えるのだろうか、というただの提案である。 

〇疑念 
 一つ挙げてみる。 

 猫が入っていたかごの中の爆弾に、拾い手のおばあさんは気付かないものか? 

 まあかごの奥を覗かなければ気付かないだろう。たかだか数十センチの奥行きのロッカーに、貴重品等を忘れる人たちがいるという事実を目撃したことのある私はそう確信する。自分の物ですら確認を怠ってしまうのだ。他人の物だったらなおさら確認などしない。そこはまあいいとしよう。カウントの音は? ピッピッと音を鳴らしてカウントは為される。広場では周囲がうるさくて気にならないかもしれない。しかしおばあさんはタクシーに乗るのである。その中で音に気付かないものだろうか。おばあさんの耳が遠かったのかもしれない。だとしたら運転手さんが気付かないものだろうか・・・。 

 他にもご都合主義という矛盾点・疑問点は数多く挙げられるだろう。別にそれを悪いという気はない。サスペンス・ミステリーものにはついて回るもの、致し方ない。実際に事が起こったらそうなるかもしれないし、ならないかもしれない。何が言いたいのかというと、事が実際に起こった時にどのようなことが想定しうるのかということ。矛盾点・疑問点に関して、そんなこと無い無いと笑い飛ばすのは簡単である。しかしその矛盾点・疑問点が実際に生じる場合もありうる。そんなときに想定外としないように、そんな事象に関して軽視や無視、決めつけをするのではなく、取り上げて検証してみる必要がある。まずは気付くだけでもいい。そこに何かしらの考える余地を見出すことが、次につながるのである。そして議論に発展すればより映画に入り込めるではないか。
 推理の天才であるコナン君は、なぜ日常生活における想定外とも言える複雑な事件を解決できるのか。そして周りの者がなぜ真相に辿りつけるのか。彼の言動を参考に考えてみよう。「あっれれ~、おっかしいぞ~」とは彼のよくある発言。何かしらにおかしいと気付く、とともにそれを周りに気付かせる。まずはそんな気付き。まあこの場合はコナン君は一つの真相に辿りついていて、導かれる形となる。実際には常にコナン君のような道しるべがいるとは限らない。そんな時にどうするのかと。軽視や無視、決めつけという行為が様々な可能性を否定するという事を知り、起こり得る事態を想定できるようにすると、そんな前提というか考えを持っていろと。道しるべはいるとは限らないけれど、誰かしらはいるでしょと。そんな人たちと議論(報告・連絡・相談)してみてはと。 まあ思考実験も大事ですからね~、何でもかんでも人任せは駄目だと思いますし。決めつけはどうのといったけれど、他人と対峙する場合はスタンスというか自分の意思の方向性は定めておくべきだとは思っているわけで・・・。うまくまとまりそうにないから、これはまた別のところで議論できればいいな~、独りで・・・。

〇余談 
・スケボーの太陽電池 と 電車の爆弾 
・たばこに火をつける道具 と 起爆装置 
・蘭の執着する色 と コードの色 
などなど、事件に関して推理する上でのヒントがひたすらに散りばめられている。スケボー壊してソーラー電池式で日の高さ云々再確認とか。そんなとこさすがだなぁ~。 

 〇最後に
 劇場版名探偵コナンもちょくちょく上げていきます。おそらく共通するであろう項目は、いつもコナンがオープニングで口にする、「真実はいつも一つ」という言葉に則った、その映画で明らかにされるひとつの真実。皮肉めいている、ディスりすぎだと思われる方もいると思いますが、こう考えてみてはという一つの提案なのでお楽しみいただけると幸いです。何かしら疑問点・矛盾点も突っ込んでいければと思います。そしていずれ黒の組織の真相についてもここで勝手に暴きます。乞うご期待・・・。

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