2014年6月18日水曜日

ゴーン・ベイビー・ゴーン (2007)

ゴーン・ベイビー・ゴーン[DVD]


~真実と幸せ~

〇はじめに
ベン・アフレック、あなたは監督をやりなさい。いきなり上から物を申すようですみません。しかし、それほどまでにこの映画はよくできており、鑑賞者に考えるテーマと余地を与えます。あなたならどうしますか? ひたすらに考えてくださいと。

〇こんな話
探偵業を生業とする二人が行方不明のアマンダという少女を探す。母親はヤク中であり、子育てを疎かにしており、娘への愛など感じられないという印象を受ける。いなくなったことで初めて分かった娘の大切さ、そう話が進んでいけばいいのだが・・・。誘拐事件の真相に辿りついた時、あなたが選択するものとは。

〇真実か幸せか 
この主人公の役柄もあってか誘拐事件に関して真実を追求、解明する方を選択する。日本のドラマ「相棒」シリーズの主人公:杉下右京もそうなのだが、刑事という役柄、仮に客観的に観て事件の関係者が、現在よりも不幸な境遇になるとわかっていても真実を優先する。被害者による裁きよりも法による裁きを是とする。同情という観点から例外をつくらない。これは義務なのか責任なのか、プライドなのか。決して曲げないものがある。一回信念を曲げてしまったら戻れないのだろう、例外がひたすらに生まれてしまうために。それこそご都合主義といわんばかりに。これを慈悲がないと観るのか。正しい選択とは何なのか。それは当事者にしかわからない。いや誰にもわからないのかもしれない。 
客観的に観て誘拐された少女の将来的な幸せを思うならば、この探偵のような行動は起こさないだろうと思うかもしれない。しかし、親は子供といるべきだという考えや、幼いながらも彼女に選択権があるという考えも存在する。それを考慮すると劇中の事件は、彼女ではなく周りが勝手に判断した結果起きたものである、ととることもできる。彼女が幼い少女という設定もあるのだが、生きていく上で何が幸せかを決める基準なんてものは、客観的と偽った個人の主観的なものでしかない。そして本人の気持ちを最大限に考慮したいという探偵の判断も、探偵個人の意見で、ただの探偵の主観だ。何が言いたいのかというと、結局のところ生きていくということは選択であり、誰に左右されようとも最終的には個人にゆだねられる(べきである)。そんな生を子供だからといって誰が左右していいものかと。今のご時世、義務や権利といったルールが存在する。人間が他者に対して最低限行わなければならない、そして自分を抑制しなければならない責任とでも言おうか。そのルールを最低限守ってこそ得られる選択権。その権利を得たとき、あなたが取る選択とは何だろうか。

〇責任 
探偵は自分の罪を背負って生きていく、という風なことが語られていた。これが、選択・判断した者の手の届く内はいい。しかし、そうも言ってられない。四六時中対象を監視しているわけにはいかないし・・・。最後の演出は責任からなのだろうか。これからを思うと・・・というような終わり方でして。でもこれが幸せでもあるんだ、ととれなくもない。もうなんでしょう、観ていてやるせない。 
結局この事件は関係者の自分勝手の応酬でしかなく、然るべき対処と、然るべき道を選んだときに初めて言い訳できる的な話ともとれる。探偵の選択は自分の罪悪感を軽くするための最終防衛ラインだったわけで。そういう見方をしてしまうと、探偵の選択は少女のためというより自己擁護に見えてしまい、無慈悲と感じられてしまうだろう。

〇最後に 
人間には確実にしがらみが伴う。これは切っては切れないもので、これがやっかい。何かしらを選択する際、個人の判断がプラスにもマイナスにも、どこまで周囲に影響するのか考慮しなければならない、というのが常ではなかろうか。さらには集団における規則という制約もある。それらが積み重なることで、どんどん選択できる範囲が狭くなる。しかしその選択とは結局は個人の判断に委ねられる。しがらみや制約を気にしないなら気にしないでもいいし、どちらかを立てようとして、どちらかが立たなくなるという状況も生じえる。
この映画の少女の幸せを思うがために、法を犯し誘拐するという選択。誘拐した彼らに罪の意識が無いわけではない。全ては少女を思うがためのものだが、その選択はどうしても法に触れる。少女が判断できない事象に関して、周りが判断せざるをえなかっただけだ。将来的な事を考えてではあるが、行動せねば今ある命に関わっていたかもしれない。そして探偵の真実の追求により問題として露呈し、提起するに至る。これまで探偵と誘拐関係者の選択についての議論をしてきたが、ここで言いたいのは、探偵の選択がこの事件に関しての問題を浮き彫りにしたという事実。結果的にではあるが、露呈しなかった方が問題であった。少女の幸せを思うのは必然であろう。しかし、いかに母親が育児放棄していようと、法に触れることは見逃せない。少女の幸せをとるか、法律という規則をとるか、という問題なわけだが、実際は単純にこの言葉だけで示した二者を秤にかけるわけではない。さきほど言ったしがらみが関係してくる。まあそれはそれはぐちゃぐちゃなわけで。だからこそヒトによって選択する行動が異なり、賛否両論存在する。生きる上で、いずれは訪れるであろう答えを出さねばならない苦渋の選択。どんな気持ちで迎えるのだろうか。

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