~縁~
〇こんな話
特に取り柄の無い男が発起し、冒険家になるお話。 詳しくは自分を過小評価している人間の物語。他者が認めようとも自分にはその力が無いと達観してしまっている男の物語。
〇役柄
本当に取り柄が無いわけではなく、自分から自慢できるような、公表できるような体験談や趣味特技が無いだけで、実際は本人が思っているよりも全然優秀。スケボーのトリックを難なくこなしている様子から、彼は才能が無いわけではないことと、且つ努力家であることを伺わせる。要はやればできるのだが、自分から避けてきたのか、機会に恵まれなかったからやってこなかった、というような典型。できないのではない、やってこなかったのだと。「やればできる」、なんと皮肉な言葉か・・・。
自分を過小評価し、こんな人間だったら、こんな事ができたらといったような妄想に浸る主人公。やればできてしまう(自分で勝手に過小評価している事象)というような仕事しかできないからこそ自分を過小評価する。でもその仕事をすばらしいと称賛する者が存在する。認めている者がいる。必要としている者がいる。この人でなければ、この人だからこそ作り出せるものがあると。しかし、それを「やればできる」というような言葉で片付けられたらどうだろうか。努力なり運なり才能なりで、やっと辿りついた境地に対して、「やればできる(じゃないか)」と言われたら、あなたならどう感じるだろうか。自分に対する期待や信頼よりも、あなたならできて当然というような、最初から何か期待されていなかったようにも感じて取れはしないだろうか。そんなことを繰り返し・繰り返されていくことが、自分を過小評価するようになる原因ではないか、と少し考えてみる。
〇つながり
あらゆるところで事象はつながっている。遠いところにあるようで近い、近いところにあるようで遠い。視えそうで視えない、視えていて視ようとしない。そんなたくさんある偶然・必然を見事に演出してくれる。ネガというヒント及び情報、どこでもつながる電話とその会話の内容、それを見事に人とのつながりと繋げてくる。 映画の感想として、「うまくいきすぎている」や「簡単にこなし過ぎ」・・・などの感想を持つ人もいるだろう。そんな方たちには是非この「つながり」という観点に重きを置いて映画を楽しんでいただきたい。
〇ネガ
最後のLIFE休刊号の表紙は本当に感動した。写真を出さないで終わることもできた。最後の最後で出すことは鑑賞者の勝手な期待から、拍子抜けをしてしまうことがあるからだ。実際私も劇中気になって仕方がなかった。そして最後ようやく見ることができた。美しかった。美しいとは自然や人間が手に負えない事象・現象だけに存在するものではない。すぐそこに、あなたのすぐそばに存在する。それがなぜ視えない、視ようとしない、と訴えかけてくれているようだった。そして彼のネガ発見までの冒険が、その美しさを一段と際立たせる。 人間が人間を認めるという行為の美しさを見事に表現してくれた。
〇余談
スケボーで坂を下り下りるシーンはかっこよかった。マーティ・マクフライも顔負けだぜ。
〇最後に
主人公を途中共感というより応援してしまう。いや、共感するから応援してしまうのか。最後は彼自身社会的にも経済的にも救われたわけでは決してない。しかし、そんなことよりも彼にとっては大事なことがあった。今までとは違う人生を歩んでいける気がする、そんな雰囲気を醸し出す。これからの人生決して楽なことばかりではないであろう。でもなんか乗り越えていける、なんとかなる気にさせられる。そんなところに自分を投影し、共感し、応援してしまうのだろう。 前項では美しいという表現を使用したが、映画全体で思い返すと、とてもきれいな映画だった。
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