~Who am I~
〇こんな話
主人公が「俺は何者なんだ?」ってなる話。ズバリ、あなたは科学者です。
〇想起する作品
「ボーン・アイデンティティ」(2002)
「クリムゾン・リバー2」(2004)
「ツーリスト」(2010)
・自覚のない能力が出現しはじめるのは「ボーン・アイデンティティ」のよう。
・主人公を捉えに来る集団のタフさは、アンフェタミンを投与した「クリムゾン・リバー2」の宗教団体のよう。
・記憶障害で自分が誰なのかわからない感じは「ツーリスト」のよう。
〇キム・ヒョジン
ヒロインがいい。特に良かったのが、主人公が私は運転ができないと宣言してからの、マニュアル車運転常習者というのが露呈するシーン、からのそれを追って車の外から主人公を蔑むシーン。いや見下ろすシーン。とりあえずゾクッとしました。堪りません。私的見解ですが、そのシーンがこの映画のピークでした。
〇騙される心理
二人分の記憶が一人の人間に入っているというところがポイント。
記憶の混同により、本人の言動自体が信用できないのだが、そんなことは鑑賞者にしてみたらわかるはずもない事実なので、主人公が見舞われている事態を、主人公が自分なりに理解していることをそのまま受け入れるしかない。境遇や背景を理解する上で、一番の頼みの綱となるのが、主人公を含め関係者たちにより小出しにされていく情報。行動だったり、心の声だったりあるが、やはり一番は台詞だろう。謎解きをする上で、積み上げていくべき情報を端から疑ってかかれというのは難しい。最初から仕込まれているのだが、言動と事実(事象・現象)が一致しない。二人の人格それぞれで関わっていた人物は違い、呼称を間違えている箇所があるなど。うまい観点を入れたなと。
具体的なシーンを挙げると、妻とされる人物が死んでいる時にある呼称で呼ぶのだが、その人物は死んでいるわけで死人に口なし。この場合その人物の声が聞こえないという理解をしてほしい。電話が鳴り、今ここで死んでいるはずの妻の声が聞こえてくると。死体の人物はどんな声なのか、電話の相手はどんな顔なのか、この時点では確認の仕様がないからなぁ~、こちらとしては。主人公による情報を当てにするしかない。まったく疑わなかった自分にあきれる。騙された・・・。
〇疑問
設定は科学者なのに、電子レンジ爆弾や、催涙ガスなど窮地に追い込まれた際に手際が良すぎないかと疑問に思う。確かに知識があれば、材料があるだけでそれらを作ることは可能であろう。しかし咄嗟に動けるかといえば、そううまくもいかない気がする。やはり経験や慣れが身体を動かすのであって、この人物は今までにも命の危険があるような世界に身を置いていたのかといえばそうでもない。「ボーン・アイデンティティ」のような元エージェントであれば納得はいくものの、これだと???の方が大きくなってしまう。いや待て、韓国だから従軍経験があるのか。それを考慮すればまだ納得はいくか・・・。
あと最終局面で車が行き交う中、主人公が疾走するシーンがある。そこで事故りそうになることで急停車する車の中の人の動きが皆無なのだが・・・、怖い。文句を言うとか、車から顔出すとかしてほしかった。
〇最後に
もっと大きな陰謀が絡んでほしくあった。ウィルスの研究が行き詰り始め、動物実験では満足のいかないという境遇で、人体実験への移行する覚悟が必要であったというのはわかる。そんな時に人を轢いてしまい、なんやかんやあり、これって人体実験のチャンスでは?という欲望にかられてしまう。そこからこの映画に繋がると。個人の勝手な判断・行動がここまで多くの人物を巻き込んでしまうという見方をすれば、大きな陰謀云々はそこまで気にはならないか。むしろ大きいも小さいも関係ないというか、そんな概念を持ってきてとやかく言うことが不毛か。全部自分の思い通り、予想通りの内容でもおもしろいとは限らないからな。この映画もこれからの映画の糧として、映画の比較の判断材料になるか。
すごい上からものを言ってしまった感が・・・。ここで少し自分を擁護したいと思う。私は0or1から何かを創り上げることが不得意である。だからこそ、創られたものに関してとやかく言うことで、その世界に対して期待や希望を示しているつもりだ。まあ詰まる所、才能への嫉妬なのである。
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