2014年6月7日土曜日

キック・アス ジャスティス・フォーエバー(2013)

キック・アス2[DVD]


~混沌~


〇はじめに 
一作目は悪を前にして傍観している者にはなりたくないと、悪の台頭による正義の立ち上がりを描いたのだが、今作はヒーローブームが巻き起こる中、その正義の台頭による悪の立ち上がりを描いた作品となっている。 

〇正義と悪という構図
正義と悪という構図ではあるのだが、正義と言っても結局のところ頼みになるのは力。正義という名を借りた、悪を倒すための実力行使・武力行使。詰まるところの暴力でしかない。両者互いに悪を倒す、正義を倒すという名のもとに暴力を執行する。映画内で正義と悪の活動が対比して描かれ、その根本的に同じ部分を示してくれる。悪と正義には通ずるものがあるのだと。

ヒーローものは、絶対的な悪と絶対的な正義という二極化する存在、正反対の存在によって成り立っている。世界が混沌と化している状態の根本原因を一つの悪に限定し、ひとつの悪を倒せば一時の平和が訪れるという構図にする。平和→混沌→平和、と悪を倒すごとに得られる一時の平和、その一時の平和を得るために悪との戦いはひたすらに続く。つまり正義と悪という二極化した存在と、それにより二極化した世界を描くのを好む。しかしこの映画は、世界の混沌の原因を悪に限定するのではなく、正義と悪の対立にあると説いている。つまるところ世界は、平和と混沌という二つの状態の変遷ではなく、常時混沌状態なのだと。

そんな混沌とした世界の悪と正義はいたちごっこでしかない。より強力な存在へとお互いを高め合ってしまうという皮肉。それにより世界はさらなる混沌へと向かう。正悪の根本的な解決が不可能な複雑で不条理な世界で、あなたはどう生きていきますかとこの映画は疑問を投げかける。 
悪に奔りますか? 正義に奔りますか? 傍観しますか? 
悪を避けますか? 見過ごしますか? 立ち向かいますか? 
我々に必要なのはヒーローという正義の象徴ではなく、皆の心の中にある正義なのだ。と私は受け取った。 

〇結局
この話も映画という空想の世界でしかない。最後の最後で続編への暗示なのかもしれないが、悪の末路が描かれる。片やクロエちゃんといい雰囲気なのに・・・。そこが少し残念な気がした。

〇腕ひしぎ十字
ヒットガールの得意技なのか、これが訓練と実戦の両方で使われる。これの対比として訓練相手はキックアス、実戦相手はマザーロシア。キックアスは簡単にタップするのだが、マザーロシアはこれを噛みつきでほどく。 ここから読み取れるものとして、訓練と実戦の違いがある。実戦は訓練とは違う様々なファクターが存在する。訓練は実戦のためとはいえ、あるルールの下行われるからだ。大きなものとして殺さないという前提。この映画の場合は正義というルールが適用される。ヒットガールはキックアスを殺そうとはしていないし、逆も然り。つまりルールを無視した対応の策が練られていない。これにより訓練では成功していても実戦では成功するとは限らないことにつながる。ここに正義の甘さがある。しかし、訓練を怠ることはできない。そんな訓練での充足感と、実戦で初めて気付く不足感・無力感をも交えてこの映画は展開する、・・・そうでもないかも。

〇クロエ(男視点での見解)
少女時代が抜け落ちていることからくる、理解できない感情の発現。それにより様々な感情が複雑に絡み合い揺れ動いてしまう心情。そんな感じを表現するのが非常にうまい。 この映画内でいえば、時折垣間見せる女の貌。キックアスをそんな目で見つめるんじゃな~い。この映画でヒット・ガールが少女ではなく女になってしまった・・・複雑だ。 この狭間な感じの演技を評価している分、これからの彼女に対して心配がある。少女の演技に始まり、少女から大人な女への変遷過程の演技を経てきた。大人な女性の演技をこれからは期待される分、どんな演技をしてくれるのか楽しみであり、不安でもある。ん~もどかしい。

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