2014年6月8日日曜日

エンダーのゲーム(2013)

エンダーのゲーム[DVD]

~訓練と実戦~ 

〇はじめに
 ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」がSF侵略ものの原点なんだと感じさせてくれる作品。映画だと「スターシップ・トゥルーパーズ」 

〇こんな話
 エンダーという少年が地球外生命体を制圧するシミュレーションゲームをひたすらに行う話。 

〇漂う少年漫画臭 兼 週刊少年ジャンプ臭
 ある能力特化型や異端児たちが徒党を組むことで、エリート集団を圧倒するというジャイアントキリング要素。ワクワクさせられる要素が当にそれと同じ。堪りません。例を出すならば、樋口大輔の作品「ホイッスル」で描かれる、東京選抜でのAチームとBチームの紅白戦の様。エンダーたちがBチームの方です。

 あとは主人公の特別感。才能が他者に認められていく過程。最初彼の才能を見抜いているのはある特定の人物だけなのだが、実績を積んでいくことで彼の才能が露見していき、だんだんと周囲の信頼を勝ち得ていく。本人視点ではその認められているという要素はなかなか見えてはこないのだが、映画だからどこか安心感を得られる。 

〇実戦への移行
 訓練においてゲームだからこそ選択する戦術の数々。死なない(失敗してもやり直せる・リセットできる)という前提の下、絶対、確かな、約束されたものがあるからこそ下せる決断。裏付けられた経験を持ってなお実戦では悩みは尽きないが、訓練だと確実に大胆さが増す。その判断を実戦で下せるのかというのが一番の問題で・・・。 


 成長ネタで一番難しい段階は訓練から実戦への移行。今までのシミュレーションとは異なり、死が間近になることで全てにおいて現実味を帯びる。子どもながらというのもあり、その状況における何かしらの決断を下すことができない。背負える責任の重さではないというような理由もあるだろう。そんなことから実戦で判断に迷いや悩みが生じる。それは戦況に影響しかねない大きなものとなる。訓練から実戦に慣れるためのそんな段階をどうやって移行していくのか、と思いきやまさかのショートカット。これはさすがに読めたのだが、話の持って行き方としてはさすがといえる。訓練と実戦の違いを経ての少年の成長・・・ではなく、訓練と実戦から受ける印象の違い。リセット(やり直し)・後戻りできないことからくる責任・重さの違いを主人公に決定的に印象付ける。それによる感情の爆発。

 子供には整理・収集がつかない問題。大人ですら難しいのではないか。いや大人なら割り切れるか。割り切れるからこそ敵勢力の殲滅に関してエンダーをおもちゃにできたのか。 経験的裏付けからくる凝り固まった戦術ではなく、エンダーのような第三世代という素質と、純粋・無垢であるが故の突飛且つ大胆な戦術を戦況に取り入れたかった。 

 訓練だからやった、これが実戦であったら別の方法をとったと。殲滅ではなく歩み寄りという方法をとったと。エンダーのこの発言が訓練と実戦の違いを裏付けている。そして自ら犯した罪を償おうとする。その償いは人類に敵対している行動でもあるという皮肉。人類の救世主を作り出したはずであったのに・・・。 
エンダーの整理しきれない感情は、9・11テロの被害者家族を扱った作品「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を思い出した。



〇エンダーの株 
 強いて何かしらの不満を挙げるとしたら、戦況シミュレーション時に指示・交信というルートをとる以上、最大の障害になる時間差を取り扱ってほしかった。エンダーが全てを自分でやろうと、指示しようとすることによる指示の乱れ・遅れみたいなのは描いてくれてはいた。だからこそさらなる高みを目指してほしかった。最後の作戦的にはギリギリの戦いであったために「時間差を考慮しているのかな?」 そんな演出があればもっとエンダーの株は上がったはずである。 


〇最後に 
 この映画ではエンダーを人類の救世主と位置付けている。しかし、エンダーを救世主と祭り上げるまでの大人たちの活動は、よくよく考えると少年兵の問題と関連付けられるのではなかろうか。大人に都合の良い少年の兵士をつくり上げる。大人たちに対して反感・反骨心を生むような価値観が形成される前に、兵士として使いやすいように洗脳を行う。洗脳により戦争という環境を兵士たちの常識として植え付けてしまう。人類という種を守るためという大義ではあるが、それだけで正当化できる内容でもない。それならば現在問題となっている少年兵の問題も、彼らが悪とする敵国・敵人から、自分たちという存在を守るということで、この映画における正当化の根拠として根本的に同じであり、鑑賞者としてはこれを是として捉えていると印象付けられてしまう可能性もなくはない。だからこそエンダーの最後の人類に敵対する活動を描かざるをえなかった。これも子どもながらの訓練と実戦の違いを印象付ける要素としてあるのだが、それよりもエンダーという性善説を強調しているように感じられてしまう。人類と地球外生命体の戦いはこれからも続いていくのだろう。表向きは人類のために戦っているが、自分の犯した罪の償いとして敵対する活動も補助している。いずれは導き出さなければならない答え(人類の敵なのか、味方なのか)を、子ども(性善説)という設定を生かして、はぐらかしている印象も受ける。共存の道をとるのも一つの答えとして考えられるが、それを良しとしない人類が多かったがために、エンダーは彼らを滅ぼさざるをえなかった。戦場という敵か味方かという二元論的な考え方が支配する世界で、エンダーという性善説を描くことで、人類が生き残るためなら敵を排除するという、(大人が是としている)必要悪が許されるのでは、という風潮に何かしらの疑問を投げかけたかったのだろうか。

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