2016年6月6日月曜日

64-ロクヨン-前編(2016)

~人間~


〇はじめに
 原作は未読であるが(読み始めた)、瀬々監督じゃなかったらもっとうまく観せられたのではないのかという感情が拭えない。「ストレイヤーズ・クロニクル」から考えたら役者陣もあり、全然マシには見えるだろう。

 しかしこの前編の流れで小田和正を流してしまうセンスが全く以て理解できない。

〇想起する作品
 「ダイ・ハード3」(1995)


〇こんな話
 警察組織内部の軋轢と記者クラブと、いがみ合い悶えるその組織を形成する個人の憂鬱。


〇人間ドラマ
 日本の象徴となったとはいえ、この国における最大最高尊敬の命と、小学1年生の少女との命を最初に引き合いに出す観せ方はすばらしかった。道路には日の丸が掲げられ、誘拐事件の顛末の背景には天皇の死及び死亡時刻までもが報道され、平成の始まりが告げられる。どちらに注目が集まるのかは一目瞭然だ。ここから組織における軋轢を見せ、とある自動車事故を絡め、個人というところに落としていく流れは本当にすばらしかった。

 全体としてこれがある中で、三上には娘の安否も絡めてある。他人女性の死体を確認する件と、娘でなくてよかったという安堵。あと電話とかね。どっかで取り上げられたら・・・


 しかしこの瀬々監督はどうもそこら辺の人間ドラマをわかっていない気がする。人間が見えていない気がする。

 いや単に私の感性が合っていない言ってしまえばそれまでなのだが・・・
―――――
 そもそもこういった作品を前後編で見せなければならないしがらみが邪魔をしているのかもしれない。時間があるとわかれば、あれもこれもと手を出したくなるのが人間の心理ではないのか。限られてるからこそ絞ろうとし、工夫をするんじゃないのか。エンタメ系作品のドラマ要素でまた一つ日本映画が伸びない一因を作ったのではなかろうか。
―――――

 例えば靴の件・・・

 突如として三上の妻が靴を磨いているシーンを挿入する。ん?と感じた。これが後に本部長の偏見というか単にバカなのだが、汚いと言われる件につながる。そのシーンの印象付けとしては功を奏しているだろう。しかしそこに必然性を持たせられていたのか? 人間ドラマに重みを持たせられていたか? 靴をバカにされて、妻が靴を磨いているシーン以外を想起できたか? リンクできたか?

 こういう短絡的なところが劇中で蔓延る見えない連中につながるのでしょうが・・・ なんでわからないんだよ・・・

 一連の流れを、全体を知っている(知ろうとしている)者と、短絡的に部分部分で勝手に自己判断を下すバカとってな対比なのだろうここは?

 64事件は確かに雨であったが、ここで何かしらが汚れるシーンを挿んでも良かったのではないのか。広報官になってからでもいい。彼が汚れて帰ってきても次の日は綺麗な格好で職場へ向かうとしても良い。そこで妻の靴磨きを見せれば、一発じゃないか。失礼、自然じゃないか。彼らの日常が生活が見えてくる。彼女の存在が際立つ。家庭内の問題が、娘の事を抱え込んでいてもと。さらに深まるじゃないか。

 最初の誘拐事件における追跡シーンでそれを補おうとしたのだろうか。刑事という存在がどんなものなのか。いや考えていないだろう。考えていたならば、トランクを川に投げ入れたときに、車から飛び降り走り出していたはずだ。森の中を這いずり回っていたはずだ。しかしそうはしなんだ。それとも何かここにあるのか。


 そして汚いと言われてから三上のピカピカの革靴が映し出されるわけだが、これをなぜ本部長の目線(正確には違うかな?)で観せるのか。

 中間管理職の板挟みを見せてそれをどうにかこうに妥協点を、折り合いをつけようとする。万事おっけ~なんて解決策は無い中での苦悩を観せたいわけであろう。上司は部下の顔など一切伺わず無理難題を押し付ける。記者クラブは記者クラブでエゴを押し通し自分たちでは一切動かず責任を擦り付ける。実名公表を掲げ加害者ばかりに囚われ被害者がどうなったのかも知らない、知ろうともしない。自らも汚れ役を部下に押し付けなければならず、家庭内問題も解消されていない。ひたすらに気苦労が絶えず、次から次へと余計な事態まで想起・連想しなければいけない。ぐっちゃぐっちゃなわけだよ。

 三上の目線で観せなければいけなかったんじゃないのか。その靴は。

 いや、三上の目線で観せなきゃいけないんだよ。

 三上にはその靴がどう見えていたんだよ。


 それに三上が妻が靴を磨いているシーンを目撃していたか? どうやって描いていたよそこは。

 いったい誰目線の話になってるのかって話なんだよ。

 三上目線で展望していくお話でしょ??

 我々が客観的に人物相関図を作っていくお話ではなく、三上目線でそれぞれの人間を捉えていくことでこの前編では個人というところに落とすのが利いてくるわけでしょ。それをやろうとしていたじゃないの。64から離れた人間が、再び64にアプローチする。彼が見ていなかったことを、知らなかったことを証言から補完していく。ひたすらに三上を主体に誰かとのやりとりが続いていたでしょうが。おかげで当たり前のものが見えなくなるんだよ。1つに赤信号を入れていたじゃないの。

 まぁこれを深めるのは小説ならではの心情吐露が描けてのことなんですけどね。実際原作ではひたすらにレッテル貼り、人物評価が三上の目線で語られている。

 


 ピカピカの靴直視して、汚いね~なんて言ったらホントにただの馬鹿になるだろうが。いやいるよ、そういう馬鹿。でも皮肉なんでしょそこは。見てもいないのに短絡的に判断するバカとして見せないと。そもそも見ないんだよ。見えないんだよ。そして話なんて聞く気は無かったんだよ。カタチだけ。というより、自分より下の存在を実感して、自らが上に立っているという欲を満たしたいだけだったんだよ。立場を利用したんだよ。

 あ~ゆう連中ってのはだな、責任を負うために上に立ってるんじゃないんだよ。責任を逃れるために上に立ってるんだよ。滝藤賢一の本部長室前で記者たちを避けるシーンにはホレボレしたよ。さすがだったよ、根底に意地悪さがあるんだろうと思わせた。こういうのができる人がいて何で・・・、もったいないよ・・・

 そこで違いを見せるのが最後の演説であり、妻への感謝でありってところなのでしょうが・・・ せっかくのシーンがつながってかないんだよ。

 いやわかりますよ。たったその靴磨きのシーンを見せられるだけで、夫を想う妻の存在というのは。そこを再自覚する夫という構図は。

 ただこの前編は何を伝えたかったのかというところを意識すると何とも観せ方としては短絡的だなと思えてならないだけ。

 手紙の件もね、三上が見えないところを安易に描きすぎているんだよ・・・



 「自分かわいさ」という言葉が使われていたが、詰まる所の「エゴ」だ。上司、記者クラブとむかつく描かれ方をしていた。その板挟みに合う三上なわけだが、彼もまたエゴで動いていたんだ。その中でも美雲の件はなるほどと唸った。


 本気度を表現する上で、全員で行動すれば良いという短絡的なところも少し気になった。三上が落とす個人というところと、組織内の軋轢で見せたそれぞれ個人のエゴというところで狙ってやっていたのか。 

 佐藤浩市も確かにうまい。記者たちを前にした言葉は彼にしかできなかっただろうと思わざるをえない。が、申し訳ないがくどい。この辺りの調整ももう少し図ってほしかった。彼が正義ではないわけだから。




 三上と雨宮の娘を亡くした者同士の対比だったりうまいところもいっぱいあるんだよ・・・

 警察にとって都合の悪い真実の隠蔽と記者クラブにとって都合の良い真実を明らかにするべく抗議。その衝突によって扱われない、目が向けられないうやむやになる事実。天皇と少女の命の対比から、ここに落としていくんだ。命の重さとしておくか。

 それぞれがそれぞれにエゴを優先し行動している面が際立つ。情報の優先順位の付け方。警察関係者は内輪ネタ、警視庁と県警の確執、力関係。記者は報道の取り上げ方。三上は三雲を汚さないために、一見配慮である差別を行う。

 原作との比較はまた別のところでやるとして・・・

 最初にも書いたけど、命を天秤にかけて個人というところに落とす流れは本当にすばらしいんだよ・・・

 でも先ほどの靴磨きのような取って付けたようなシーンを平気で挿れてしまう。肝心の人間ドラマの部分がお粗末極まりない。残念で仕方がない。

 後編の畳みかけに期待する。





 ミステリー・サスペンス要素はほぼ皆無。最初に書いた個人、独りの命というところに落とすドラマで前編は幕を閉じる。

気になった点を少し掘り下げるのならば、

 犯人の声を聴いていたのは雨宮だけということ。

 行く先々でタイミングよく電話が鳴ったこと。時間指定は最初のお店だけだったはず。

 犯人が金を手に入れたであろうに、少女が死んだこと。ここで殺したのか、死んでしまったのかというところもまたポイントなのだろうか。


 あとは娘からとされる無言電話をどこにオトすのかですよね。ひたすらに指示された誘拐犯からの電話と、娘からとされる無言電話。タイミングよく行く先々で掛かってきた電話と、いつ掛かってくるかわからない電話。



〇ざっくり

 長くなってしまったのでまとめると・・・

 靴の件はうろ覚えだが、確か三上の貌を映し出して補完していたように思う。彼は何を想っていたのだろうかと連想させるように。

 要は原作における三上目線と、映画における三上目線の観せ方の違いなわけである。彼の内面(心)からなのか、彼の外面(人間関係)からなのか。三上をFPSで体感するのか、TPSで視野を広げてやるのかの違いみたいなもんかな。

 そこが少し気になったというだけ。いやここまで書いたから大分としておく。


〇最後に
 別に非難する気は無いが、俳優陣が豪華っていう形容を第一に持ってくるのは私にとっては「エクスペンダブルズ」と同義に思えてしまうのよね。主役級揃えればそれだけで大絶賛。その他大勢は知らんと。う~む、それとこの作品で扱っている事象はほぼ相反するものであって・・・。最終的にどこにまで落としたかってところがこの前編のテーマなんだがな~・・・、まぁいいか。変に拘りがあるんですよね私。我ながら面倒くさいなと思ってます・・・

 ではでは・・・









0 件のコメント:

コメントを投稿

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...