2015年5月4日月曜日

寄生獣 完結編(2015)

~再定義~

〇はじめに 
 涙が出ない。 

〇再定義 
 人間と言う存在を哲学し再定義をする上で、お涙頂戴話にしてはダメ。 

 新一とミギーの別れと、人間同士におけるそれぞれの別れを同義にすることに意味があるのであって、感動の押し売りによってその別れを演出してはダメだ。感動により思考が停止するからだ。無意識に定義してしまうものがあるからだ。ミギーが言う、他種を気遣うことができることが、人間の愛おしいところであると。確かに無償の愛や、やさしさとして捉えることができる感情ではある。しかしその感情のほとんどが、序列化によってもたらされるものだということを知らない。要は無意識に無自覚に事象を比較し上下関係を創り出している。我々の哲学による定義づけに感情論を持ち込むなという話ではない。考えさせるべき内容を観せる語る上で、感情論を押し付けるなということだ。感動をウリにするあまり、結局二人の関係性を価値観の違いによる哲学でなく、馴れ合いとしてとれるコント(いや漫才か)のような安っぽいものになっている。これが前作を批判していた方々の危惧であったのだろうと痛感した。その方々がこの作品をどう評価しているかは、定かではないが。 
 なぜミギーがいなくなってはいないと最後の最後に示したのかと。最後、移動式スキャナーになぜほざかせたのか。共存を選択したのは人間と寄生生物とどちらだったのかと。寄生生物と共存を図ろうとした人間はどうなったのか。これらを観終わって改めて考えさせることに意味があるのだろう。共存とは、人間とは何なのかと。観ている者の思考を、安っぽい正義で阻害するでない。 

 寄生生物を人間と同じ段階まで最短最速で進化させ、人間を見つめ直させることをしたいのだろう。それが田宮良子やミギーを通して価値観を語らせる意味だ。そして寄生生物と人間とを捕食する者とされる者として観せて、我々は彼らをどのように認識するのかと。親と子、男と女、そして組織と言う複数の人間の集合体といったつながりを示し、田宮良子の妊娠や、後藤が複数の寄生生物で成り立っていたことへとつなげ、人間を模した寄生生物において1つの末路を見せたりもする。寄生獣とはいったい何なのかと考えさせる。

 人間を再定義する上で、母親と言う存在についての1つの定義。 まず前作において母親と言う定義付けをしたのが、完結編にして活きてこないのがそもそもおかしい。というより、前作におけるミスであることは確かだ。寄生されたにも関わらず、新一を守ろうとした。田宮良子が寄生されていることを唯一見抜いた。そして田宮良子の妊娠を持ち出すことで、不思議な存在ということを示し、完結編において我が子を守る寄生生物へとつなげたかったのだろう? 要は母親の形成過程だ。父子家庭における年齢の割にしっかり、ちゃっかりした母親になるであろう片鱗を見せる娘の演出。母親に似てきたとという台詞をわざわざ吐いている。そして母親という存在になるために必ず通る道である男女のつながり。ここが、ここでつなげることがミソなのだろう。しかしつながらんのだよ、里見だけ。浮いているのだよ。なぜ彼女は前作において母親としての片鱗を観せないのだろうか。娘で母親の片鱗を観せる意味が無いではないか。前作で面倒見の良い様を、母性というものをもっと観せるべきだったのではないのか。 
 里美の定義があまあますぎるんだよ。何かしらを定義するには、前提となるべき定義ってのが必要であって、その思考する上での土台となるものが組み上がらんとそもそも何を哲学して定義しようとしていたのかが見えなくなるわけで。還るべき場所を定めておかないとと。そこを把握してないんでないのかこの作品は、と思われるわけで。
・・・橋本愛さんはすばらしかったですよ。

 前篇の母親という存在に対して父親という対比を持ち出したのはすばらしい。大切な存在の消失で復讐に駆り立てられる父親の存在を描くのにつなげる。母だけが特別なのではないと。しかしこの父親という存在を描くのであれば、新一に対してもそれを描かなければいけなかったのではないのか。唯一の肉親をを殺されたことで同じように復讐に駆られていた新一。その復讐において寄生生物のみを殺める新一と、人間である赤ちゃんをも殺めようとする1人の父親。新一も父親になるであろうことを暗示させ、父親である彼と関連付けたいのはわかる。しかしだ、それだと親と子という関係に関してのみ、人は人を想うということに偏らないだろうか。そして何より、母親という定義を、娘、里見、新一の母親、田宮良子と段階を経させたのにその対となる父親の存在はどうなのよと。 
 母親と父親とを対比させようとするあまり、なぜか母子家庭と父子家庭という安直なカタチに落ち着けてしまっており、何か狙いすぎている印象を受けてしまう。  

〇余談 
 右手を失った直後に、性交渉というのは、シャレが利いているのだろうか。右手という恋人を亡くした男はどのように・・・ 

〇最後に 
 原作を読む。そして再評価・再定義したい。

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