2015年5月10日日曜日

クエスチョン(2011)

クエスチョン[DVD]


~ きゅ~っしん、きゅうしん♪♪ ~

〇こんな話 
 4人の男女が飛んでる飛行機の中で理不尽なクイズに巻き込まれ、ジタバタする話。 

〇動機 
 最初のシーンがあるだけにだいたいどんな状況になっているかは掴めるのだが、結局わからないのが犯人の動機。SNSに関する事なのだが、不特定多数が利用しているサービスの中で4人を選出できるほどの実力と、復讐?のためにその4人の周辺の人物を躊躇なく殺せる実行力は置いとくにしても理由が半端。半端というのはネタバレのさせ具合というか・・・。

 まずSNSにより、いつでもどこでもつながれるという安心感を、母親と娘の別れで演出する。逆に不安や恐怖を煽ることもあるとすぐさま観せつけてくる。機器を使用できる技術や能力があれば、手を少し動かすだけでサービスの恩恵にあずかることができる。そんな身近な、簡単で便利なSNSという代物に潜む危険をこの作品は追求しようとしているのか。毎日何百万人がアクセスし、そこで仮の・真の姿をさらけ出している。身に覚えのある事項が続々出てくることだろう。免責条項を最後まで読まずに、同意するを押す。危険な動画の閲覧や、掲示板やチャットでの誹謗中傷・・・などなど。劇中で描かれるそんな関係の途絶は、機器の没収と、使用者の死によりもたらさられる。簡単につながれる、しかしそのつながりは簡単に失われる。つながりが広がった分、つながりが浅くなった。安心感を常に得られる分、その何倍も心配や恐怖に駆られることになる。
・・・ということなのだろうか。
あ~、あと真実を見極めにくくなったとかもかな。時間差トリック使ってくるし。

 娘の自殺のネット中継を観ていた且つ、自殺に対して説得・助長・拡散・傍観していた者が裁かれるということなのだが、恨みつらみは人それぞれなのでこの復讐という動機はまだわかる。 
 しかし、最後のシーンがあるために娘という動機に疑問が湧いてしまう。最後被害者の娘に対して、自分の娘のように接している描写がある。それを踏まえると、娘とされていた動機が本当にあれは娘だったのかとなる。娘の自殺を機に復讐を糧に生きてきた父親が遂におかしくなったとする描写なのかもしれないが、動機とされていた娘が実は同じように拉致されてきた女の子で、女の子はその現実がいやになり自殺をしてしまったとも取れなくもない描写でもある。自分の娘を、他人の娘で代用する。いや、息子がいる描写がされていたので、対となる娘という存在を欲していただけなのか。いやいや、ただの小児性愛者だったのか。
 代用できる娘。家族ですら代用が利く。それこそSNSで築かれつつある今の人間の関係性の象徴なのか。

 最後異常な家族であることを醸し出すのだが、そもそもだ。娘の自殺の原因をネット中継内に限定して、その視聴者に責任を追及している父親がおかしいのである。彼は裁く側には決していないことに気付かなければならない。彼も娘の自殺を防げなかった。何かしらの原因の1つだったかもしれない。彼も彼が勝手に裁いた者たちと何ら変わらないのである。ただの責任転嫁、自己擁護。 しかしこの事件がなければ注目されなかった真実があるのも確かであることは言うまでもないのだが。そしてどこかしらに怒りをぶつけなければ父親の感情を発散できなかったわけで、そう考えると自殺した娘はおそらく本当の娘だったのだろうと。いや、そうとも限らないか・・・。

〇最後に
 事象の見方、見え方で真実は大きく異なってくる。それを左右するのは情報の量や質、幅・・・表現は様々ある。SNSにより手に入りやすくなった情報。それを如何に比較し、精査できるのかが鍵となる。そこをこの作品は除外し、いや、犯人の能力を顕示することで、その段階は突破しており解消されているのか。いやいや、クイズ大会中も為されて然るべきである。犯人の手にしている情報とは別の事象が出てきたではないか。それを犯人は後でどうとでもできると、別人でも殺すと手段が粗くなっている。いや、これは完璧な者などいないと。この別人というところが、あらゆる波紋を生みいずれ犯人側に還ってくるというところへとつながるのか・・・・・・・・思考停止。

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