2015年5月24日日曜日

リピーテッド(2014)

字幕翻訳:加藤リツ子


~スリーピーダッタ~ 

〇はじめに 
 午後のロードショーにどうぞ。

〇想起する作品 
 「メメント」(2000) 
 「ロスト・アイズ」(2010)

〇騙される心理
 最初に、ほんとにはじめに、はじまりのはじまりに、1つの真相への既定路線が出来上がる。それが結局この作品の全てであったわけだが、この既定路線を払拭させようとする努力は感じられた。

 断片的な記憶を足がかりに謎解きが開始されるわけだが、記憶の喪失と補填(改竄)を絡ませており、容疑者2名をうまく行ったり来たりさせようとする。犯人のビジュアル(髪型)を映し出し、確定したと思われるも、記憶の置き換えで解消しようとしたり、頬に傷がある人物が犯人だと思わせる演出。そして名前だ。断片的な記憶により曖昧な容姿と、1つ確定している名前を結びつけることが鍵だったわけだ。だが容疑者が増えていかない。そして犯人が男であると確定させてしまっているのも難点だろう。いや、精液が採取されていないというところがそれの解消につながっていたのか・・・

 そもそもだ。最初にベンに「あなたは?」と言っている時点であやしいわけで。それを踏まえ10何年間?そんな生活が続いていて、一番に彼女の記憶を良いように操れたのは誰だったのかと考えてしまえば、もう一人しかいないわけで・・・

記憶に関して、
 ・20代前半
 ・結婚した年
 ・息子の生年月日
 ・記憶喪失のきっかけとなる事故の日
といった事項に関して前後関係をもっと絡めていけば、より思考をぐちゃぐちゃにできたのではないだろうか。ここが曖昧だったように思う(いや、曖昧で良いんだけど・・・)。そしてネタばらしにおいて、なぜベンの顔を彼女は判別できなかったのかという疑問が湧く。ベンとの結婚後に記憶を失う事故を起こして、ベンとの出会いの前に記憶が遡ることになっているわけだが。ベンも事故で顔が変わったとか、火傷だかで包帯ぐるぐるネタとかにした方がおもしろいのではなかろうか。
・・・正直中盤までスリーピーだったので、私がただ見落としているだけであり、ちゃんと順序立てられていたらすみません。

〇瞳 
 せっかくニコールキッドマンの綺麗な青い瞳を映し出すのに、それが何ら関係してこないのがもったいない。原題の「BEFORE I GO TO SLEEP」というのも特に活きてこない。最後の息子の件を、我々に託してくれても良かったのではないか。息子を思い出したとして眠りにつき、次の朝息子を目にする彼女の画で終わらせる。それで彼女の表情に、瞳に真実が託されることにならないか。
 
 いやいやこの瞳を映し出したのは「百聞は一見にしかず」というところなのかもしれない。名前と容姿の一致いうところに掛かっていたのか。ある者の名前を聴いて誰を思い浮かべるのか。
 ある事柄を聴いてイメージするものが、両者異なる前提であるにも関わらず、確認する必要の無い事象であると判断し、話し合いをはじめる、進める。痛みや悲しみの共感における屁理屈と一緒だ。お前にわかるわけあるかと。言葉で説明の難しい現象を、共感(つまり言語などの何かしらの代替物を使って表現した共通理解)というもので補う人間のコミュニケーション。省くわけだ、段階を。効率よくコミュニケーションを行うために。相手に何かしらを説明するためには、共通の認識を形成する必要があるわけで。その土台というか段階を経るのを、言葉やものに頼っているわけで。「痛い」という表現でどのような痛みを想起するのかと。叩かれた、刺された・・・といろいろある中でどれなのかと。さらには「胸が締めつけられるような」「痛み」といった表現の場合、より???となるわけで。
 要は、実際は事細かに設定できる事象を、ある程度幅を持つ表現に言い換えることで、対象との共通項を探り、それを足がかりにコミュニケーションを図る。という訳のわからない表現に落ち着くわけだが。
・・・「百聞は一見にしかず」

〇最後に
 この手のネタはもう出尽くしている感じが否めない。それをどう新しく観せるのかというところが課題となってくるのだろう。この作品はまぁ、そうでもなかった。はじめにでも書いたが、午後のロードショーでウけるのではないだろうか。

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