2015年6月13日土曜日

イニシエーション・ラヴ(2015)

~ 一択 ~ 

〇はじめに 
 「Side-A」を観ているのが辛い。あの二人の世界を笑えない。世界に二人だけしかいないような関係に引いてしまう。いやそれが狙いだったことはわかる。それがオチにつながる、騙そうとする演出であるからだ(そんな時代だったのか? まぁ今でもいますよね、公共の場でイチャイチャしてるのが)。しかし何ともイタイタしい。故に途中から完全に心が木村文乃にシフトしてしまう。これもたっくん視点での二股をリアルタイムであると強調する上でわざとであるのもわかっている。しかしだ、それが最後の究極の疑問につながってしまうのである。

 「なぜ前田敦子の元へ走ったのか?」

と。それが恋だと、そういう男だったと言われてしまえばそれまでなのだろうが。何ともしっくり来ないのである。


〇二股 
 これは人の見方によりけりなのだろうが、繭子がウザ女のままで終わって正解なのだろうか。悪女にならなければならなかったのではなかろうか。最初からウザい。美弥子への移行をスムーズにするためなのだろう。これは見事にハマっていた。

 まぁたっくん視点で二股掛けてボロが出る様を関連付けてたのはうまかったのかな。取り繕い方や対策において、男と女の差を見せることで、いや、相手方が気付くか気付かないの方か。どちらの点でも嘘をつくのは女の方がうまいということか。男は単細胞と。 


〇結果にコミット 
 どうせなら期間を2カ月にすれば良かった。あれ、何カ月だったっけ? 
 
 いや~、容姿の変化を、痩せる動機を描いてはいるものの無理があるだろう。髪型、コンタクト、バッシュ、そして決め手の女から痩せてときたもんだ。いや十分なんだろうけど、ここを笑かしてどうっていうのは通じない人多いんでねえの。いやいやわざとなのか。笑いをとって、その記憶を刷り込ましておくのか。


〇最後に 
 何ともスッキリしない。何がって? 最後繭子のもとに向かったことさ(まだまだ引きずりますよ)。美弥子でいいじゃん。でいいじゃんって言い方はあれだが。恋愛は〇〇じゃない的な話で片付けたくない。誰もが思わないものなのか。繭子が馬鹿にしか見えない。痛い子にしか見えない。そして気付くだろう。こんな馬鹿な奴がいるはずないと。計算されているキャラクターなのだと。そしたら絶対に裏があるとわかるだろうが。まぁ現実においては見えてこないでしょうが・・・。明らかに美弥子>繭子に映るじゃないか。それが男視点におけるリアルタイムでの二股の進行を疑いの余地のないものにするのは何度も言うがわかっている。

・・・おそらくオチがね、男がそれ以上に馬鹿ですよと言われている感じがしてしまってるのだと思う。はいはいイニシエーション・ラブでしたと片付けてしまえばそれで収まるのだろうが。最後の笑顔、めちゃんこむかつきますよね(笑)。前田敦子さすがだね・・・。


 いやアニメ・・・の中の萌え文化が流行り、そういうキャラクターを目にし過ぎている時代を生きているからなのか。おそらくこれがネックだ。この作品は年代によって観え方が変わってくるのだろう。萌え文化に浸った若い世代はどう見えるのか。劇中の時代を生きていた人たちはどう観えるのか。どうしても私はこの2人のキャラに目が行ってしまった。その時代ならではのヒントが散りばめられていると言われても何らピンと来ないからである。そんな年代を越えて散りばめられているヒントもあるにはあるが、ヒントに気付けるか気付けないかで、やはり観方・楽しみ方は変わってくるだろう。


 カセットテープに掛けて、A面B面で分けて描いたのだろう。これを是非ともですね、平成という時代で、A面B面C面D面と入り乱れて描いてみてほしい。前田敦子をアップでひたすらに映し出すのを、相手方の男に目を向けさせないためだと勘繰っていたのに。男がいつのまにかすり替わっているとかできそうなもんだけどな。顔を映さないで、後ろ姿だけとか。

 最後にはじめて衝突するより、どっかでダブルブッキングでもしてほしかったな~。いやそこは女の腕の見せ所なのか。いやむしろその見せどころで、ダブルブッキングを乗り切るとかやっても・・・。

 最後の5分で騙されるとか何とか。「Side-A」が辛くてですね。最初の何分かは知りませんが、そこで疲れました。

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