2015年6月29日月曜日

ストレイヤーズ・クロニクル(2015)

~アゲハ~ 

〇はじめに 
 足のつかない50メートルプールを優に往復できる者が、泳ぐことを目的にお子様用のプールに入れられたらどのように感じるだろうか。 

〇想起する作品
 「CØDE:BREAKER

〇こんな話 
 子どもと大人、変態と進化をテーマとし、人間を生物学的観点から徹底的に議論しようとした作品。
・・・であることをこの作品のあり方として願っていた。

〇能力 
 最初に登場人物が誰も出てきていないのに能力者の概要や経緯から入った時点で嫌な予感はしていた。その通りになってしまった。 
 

 ひたすらにキャラが立たない。能力の区別でそれをしようとしたのか、そもそも能力の提示がお粗末。なぜ最初から一般人に苦戦しているのか。故に昴兄と慕う連中の気が知れない。強さの指標を示せず安心感がまるで得られないのである。それなのに、能力者相手になると終始有利に事を進める始末。意味がわからない。それ故に特訓の前後における変化も感じられない。そんな中能力の飛躍で彼が長期的な予知をする場面が存在するのだが、まるでピンと来ない(「NEXT-ネクスト-」(2007)を見てください)。能力の代償である破綻も大きな意味を持たせられていない。 

 昴の能力の曖昧さ。これを社会における若者の立ち位置と関連付けていると擁護できるのかもしれない。しかし問おう。現代社会を投影しているような演出がいったいどこにあったのかと。現実に直面した際の対処方法として描かれた弟の引きこもりか、それとも自ら選択をしないという他力本願か、それとも復讐という責任転嫁か。特訓における某動画投稿サイトか。そもそも彼らと社会の繋がりが・・・。いくらなんでも下手すぎるだろ。 

 そして何より驚いたのが特訓シーンでの主題歌。びっくりである。おそらく飽きさせないための苦肉の策だったのではないだろうかと勘繰ってみる。リンゴが余ってるとも掛けてたんでしょ、どうせ。いつまで日本のアクションは迷走しているのよ。なんでコマンドサンボなのよ。日本発祥の武道で良いやない。カウンターで倍返しより、相手の力をそのまま返す合気道とかで良いやない。能力の強さの指標になるやない。どんな力なのかを人を殺すことだけでなく表現できるやない。守る力でもあったわけでしょ?? ちゃうんかい?? 

 そしてそれぞれの能力故のものが無いのもいただけない。一番に際立ってしまったのが、高速で動ける能力者が脚を撃たれるところである。ここが不可解で仕方がなかった。銃を構えている相手にはあり得ない対応をする(いや私なんて対応したことなんてないんですけど)。しかしすぐに解消されることとなる。ただ能力者4人で一緒に走る画を撮りたかったがためだ。ナメすぎである。 

 最後は命を燃やすってことなのか。そんな件がどこにあったのか。そしてライターの件はどこだったのか、覚えていないのだが・・・。短命ならではのある種諦めや達観的な思考が欲しくあった。全員が全員生きたいというところで完結してしまっている。たばこを吸っている者がいたって良かったじゃないか。なぜわざわざ命を削るのかと。どうせ死ぬなら生を全うしたいと、エゴに生きても良いじゃないか。

・・・こんなことは些細な問題である。キリが無いのでもっと重要なところを抉っていきたい。次の項へ。

〇主題 
 この作品はおそらく主題を完全に履き違えて製作している。


――アゲハとは??―― 

 はじめにアゲハ蝶の羽化を観せたのはなぜだったのか。そしてこの時点で進化と蝶の変異(変態)を同義に扱っていたのはなぜだったのか。 

 「変態」と「進化」の違いを決定づけるためではなかったのか。それを通じて大人と子どもの対立を描こうとしたのではなかったのか。生きたいと叫ばせたのは、生殖を強調したのは、何のためだったのか。

 環境テロリストの扱いもぞんざい過ぎる。システムの維持や変更を行うものが政治と位置づけていたが、システムへの介入としてテロ行為もひとつの手段であろう? 原発問題がテキトウすぎるのも気になった。どうせならここでこれからの世代を意識させようとしているのだから、学のウィルスと対比させれば良かったのに。そして何より爆弾はリモコン操作ではなく時限式にすべきだった。彼の主張や覚悟の甘さが際立ってしまう。この無知さ、そして行動力が若者であるということだったのかもしれない。じゃあ対比させる大人をもっとしっかり描こうよ。若者が社会において自らを立たせ、生きていこうとする覚悟がテーマであったであろうに。政治とテロ、大人と若者の対立のチャンスが・・・・。

 そもそも大人と子どもの対立を描く上で生きる目的が根本的に異なってくるのは周知の事実であろう。大人は子どもを産みそして育てる者、そして子どもは育てられる者という前提。大人は次の世代に想いを託す、受け継がせる。子どもはそこから自律に向かってあがくのであろう。それゆえのアゲハという象徴。蝶は世代を超えることなく「幼虫⇒サナギ⇒成虫」と姿を変えていく。この変異の仕方を「変態」と言う。小学校で習うことだ。そして劇中でひたすらに言われる「進化」とは世代を超えて変化が行われるものだ。この違いを子どもと大人に当てはめて衝突させることに意味があったのに、なぜか最後蝶が飛び立つ様を強調して終わる。理解に苦しむ。子どももまた大人になっていくのですよ・・・?? そのつながりは・・・?? なんもかんも放棄してしまっている気がする。

〇破綻 
 1つ拡大解釈をしてみる。破綻という言葉がある現象に使われていた。能力の制限をもたらすための人間のストレス耐久度。これがおそらく最大のメッセージだったのではなかろうかと。終始粗が目立つこの作品。気になる人はイライラしたり、気持ち悪くなるかもしれない。しかしこれこそが我々と能力者たちとをつなげる部分だったのではなかろうかと。細かいことを気にするなよと。多めに見ろと。長生きしないぜと。 
・・・じゃあこんなの作るなと言いたい。 

〇余談(能力について)
 破綻するのは超聴力が一番早いようなストレスの演出だった気がする。
 高速で動ける者は消えるよりも残像を残して欲しかった。残像拳って夢だと思うのだが。

 
〇最後に 
 「1つ聞く。まさかこれが全力か??」

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