2015年6月8日月曜日

おかあさんの木(2015)



~フィクション~ 

〇想起する作品 
 「メッセンジャー」 (2009)

〇こんな話
 おかあさんの木。

〇フィクション
 この終わり方だとただのボケた(認知症でした)おばあさんの戯言というか与太話になりますけど、それで良いんですか?? 

 おかあさんの字が読めないという設定を、おそらくは人と人との直接的なつながりとして観せたかったのだろう。字が読めないために、他人から読んでもらうことになる。夫にはじまり・・・となっていくわけだが。これがどこに掛かっていくのか。 
 この「おかあさんの木」を話していたのは誰だったのかというところがおそらく鍵だ。苗字と名前を把握してしまえばこいつだとすぐにわかるわけだが、その人物の歴史を追ってみるとわかるのだが、おかあさんとの接点はほぼ皆無。いやあるにはある。手紙を読むというのが。しかしそんな人物が「おかあさんの木」という全容を語るのである。誰かしらに聞いた話であろうことをひとつにまとめ、伝えるのである。これをどう観ればいいのだろうか。
 おかあさんという視点で、戦争がどんなものなのかと伝えたいのはわかる。戦地に赴いた者だけのものではない。銃撃戦が止めば終わるものでもない。停戦協定が結ばれれば終わるものでもないと。しかしだ、なぜそれを根本から疑わせる描き方をするのかが一向にわからない。語り部がおかあさんになった節もなかった。いや、兄弟唯一の生き残りである五郎との結婚という事実が、先ほどのおかあさんとの関係性も含め満たしており、敢えて語らないところだったのか。
 そういえば出産の際は必ず産婆を挿むのも気になった。さらには養子問題か。ご時世というのもあるだろうが・・・。
 
 まぁつまりだ、忠君愛国だか言って死した兵士たちの遺族にただの紙っぺらや土やら送って立派な死を遂げましたとして済ます意味不明な係わり合いとの対比で、非国民と罵られようが人と人との直接的な思いの籠った触れ合いを築いているおかあさんを中心とした関係性を観せることで、最後語り部に対する疑問を振り払おうとしているのではないかと、勝手に考えを膨らませてしまうのである。おかあさんの木に関する伝聞は、何ら疑う余地の無い真実であると。しかしだ、最後のアレは何なんだ・・・う~む。
・・・その割には木の下で亡くなってるおかあさんを発見したのは、やっとこさ帰ってきた五郎だしな。今まで関わってきた人たちはどこへ行ってしまったのか・・・ともなるわけで・・・
・・・おかあさんが死んだときに丁度五郎が帰ってきたわけか。戦争が無ければこんな悲劇は起こらなかったというわけか。どんなことをしても行かせなければよかったというおかあさんの台詞とも掛かるのか。そんなことが許されるご時世ではなかったというのは、劇中でも描かれているわけで。わざわざ悲しみを創り出す必要がありますかと・・・
 
〇最後に
 号泣云々で観せるこの作品。どうなのだろう・・・。

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