2018年1月23日火曜日

最/終/感/染 ~アンチ・ソーシャル~(2015)

最終感染



~均一化~


〇はじめに
  「パンデミック・サイト」の続編。 




〇想起する作品
 「ダークシティ」(1998)
 「X-MEN:ファイナル・ディシジョン」 (2006) 
 「インベージョン」(2007)


〇こんな話
 ネット社会の成れの果て・・・







〇均一化
 前作はデジタルデバイドやメディアリテラシーというところを皮肉った話だったわけだが、今作はその果てとなるところを描いていく。ネットを介して繋がることを目的としている人間たち(いや正確にはネットに繋がりを求める者たち)の究極系が均一化(同一化)であると観せる。妊娠出産の件を最初に片づけてしまうのかと疑問だったわけだが、その後父娘という関係が主として描かれてもいることからも、この世界における世代交代という縦の繋がりを意識させたかったのだろう。

  現状共通のナニカにより人は他人と繋がることができる。インターネットはその最たるモノである。劇中で言えばレッドルームというサイトの共有。現実に様々なサイトやアプリを連携させる動きが活発なわけだが、これの究極は一体どこに行き着くのだろうか。全部同じところで管理できたら便利ですよね。繋がりも活発になり広がりますよねと。しかしそこにリスクは無いか・・・

  現状情報とは様々な意志を介することで手元に届く。誰かしらが発した情報を誰かしらが解釈しその解釈を基にした情報がまた発せられる。それをまた解釈することになる。媒介が多いほど伝言ゲームのような危険性を孕むことになるわけだが、それを多面的に捉えることで審議することを現状やっており何より求められている。

  では逆にその媒介が少なくなったらどうか。究極は1つ、いや0か。皆が何かを想った瞬間に皆がそれを共有する。そこに意思決定(自由意志)は存在するのだろうか。

 これの縮図がレッドルームにおける感染者の操作である。誰かの思い描いた通りにそのまま行動する。言いなり、ただの操り人形である。

 しかし感染者同士を戦わせようとしたが無理だったとも言っている。ここに平和の兆しも見える。衝突が起きているのは人間と感染者、人間と人間の間だけである。

 前作では男女や友人といった横の繋がりが描かれ、今作では母―息子、父―娘という縦(親子)の繋がりが描かれている。現状それぞれに特別なステータスを抱えた関係性が存在していることを示し、そこに何か希望を見出させようとしつつも、それ故に何かしら諍いに発展することがあるとして観せている。そんな矛盾や混沌を抱えた世界なのだと。

 そんな世界に対し、強制アプデが行われる。皆が求めていた誰とでも繋がることができる世界。特別なステータス(垣根)を排除した世界。貧困や格差など存在せず、誰もが皆平等に扱われる世界。いや私はあなたであなたは私、誰もが私でありあなたでもある世界。争いの無い平和な世界。現状抱えている問題が全て取っ払われた世界。

 現実逃避としてのネット依存から自ら進んで繋がる娘がフィーチャーされ、ネットに晒された今日の世界の果てが均一化であると警鐘を鳴らしつつ、いやそんなに悪いもんでもないのかもしれないよという揶揄を交えている。しかし彼らのほとんどは自らの選択ではなく繋がった事も考慮すべきだろう。それは人間の在り方の否定であり変化である。それを受け入れられるか否か・・・






〇最後に
 ネット無いと不便なんだよなぁ~


 ではでは・・・


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