2014年10月31日金曜日

サボタージュ(2014)

~信頼と裏切り~ 

〇はじめに 
 試写会にて鑑賞。
ネタバレありきで話を進めますので悪しからず。 
あと主人公の名前全て「シュワちゃん」と表記します。

〇こんな話
 シュワちゃん率いるDEA(麻薬取締局)最強部隊。ある時麻薬組織のアジトへ奇襲作戦を敢行する。アジトを制圧し、1000万$を強奪しようとするのだが、その金が突如消失する。その現金消失事件の波紋からか、チームのメンバーが一人ずつ殺されていく事件が発生。はてさて・・・。

〇騙される心理 
 再度言いますが、ネタばれありきで話を進めます。10月31日現在劇場公開前なので注意されたし。 

 まず広告に書いてある文章を引用させていただく。劇中に起こるメンバーの殺人事件に関してであるが、 
「ジョンの恨みを晴らそうとする麻薬組織の仕業なのか、それともチーム内の何者かの犯行なのか」 
とある。ここがミソであることをまず言っておく。 

 事件の概要を踏まえ、騙される心理を言葉で説明しようと試みるが、わかりにくいと思うので事件の構図を図(下)に示してみた。しばしばご確認いただきたい。



図 事件の構図















 これは中盤に明かされる事実なのだが、組織から差し向けられる刺客の殺害(X)と麻薬捜査官の殺害(Y)と二つの殺人事件が存在する。
 この事件に対して我々はどのように推理を進めていくのかというと、二つの事件にどのような関連性と動機が含まれているのかということに着眼点を置き、ひたすらにこの二つを結びつけようとする推理を始める。まぁこれがトリックだったわけだが・・・。これが何とも杜撰なんですは。考えうるいくつかの犯人説を挙げながら説明していきたい。

・1つめ
 シュワちゃんの画面越しに眺める誰かしらの拷問映像は置いといて、作品のはじめに描かれる1000万$消失事件。捜査官と麻薬組織とを対立させる事件として描かれ、これを組織の怒りを買う原因として捉えさせる。捜査官殺しの1つの犯人として、組織が差し向けた刺客という候補を提示することになる。
・・・まぁこんなんミスリードとは誰もがわかるだろう。宣伝文句から「はいはい捜査官内に犯人いるんでしょ」と思っている連中を甘く見てもらっては困る。

・2つめ
 ただの仲間割れ。捜査官内に犯人がいると。
1000万$消失事件で、彼ら捜査官のチームは謹慎処分?になる。もともと無法者だった連中であるため、謹慎期間という刺激不足と、消失事件もありチームとしての一体感は崩壊していた。そこで説かれるチームにおける信頼。捜査において命が関わってくる以上、信頼関係が大事になる。しかし一回崩れた信頼関係(元々築かれていたかはあやしいが)を短期間で修復するのは何とも難しいもので、これが単に崩壊しただけだろと仲間割れ説が浮上する。実際そのような様子が描かれていくことになる。
 作品外の情報を勝手に付加するのであれば、こういった無法者(いや全ての人間に当てはまるか)が一体感を見せ集団で行動に及ぶのは、ある共通の目的があるからで、その目的が果たされないか異なってくれば崩壊は余儀なしとなる。この作品内で言えば、彼ら捜査官たちの目的が、麻薬組織の潜入捜査及び壊滅なのか、組織から拝借したお金なのかと。

・3つめ
 捜査官殺しが進んでいく中で、組織とシュワちゃんの因縁が明かされる。最初に映し出された、拷問されていた女性はシュワちゃんの妻だった。シュワちゃんには組織に復讐の動機があった。組織がシュワちゃんの存在を恐れての行為・報復が、彼にトラウマを残していた。これがシュワちゃん犯人説の提示だ。
 注意されたいのは、作品内において注目される捜査官殺しと安易にシュワちゃん犯人説を繋げてはいけないということ。さらには、シュワちゃんの過去が明らかにされるのと前後どちらか忘れたが、組織の刺客が事前に殺されており、捜査官殺しが不可能であったことがわかる。ここで1つめに書いた可能性が消えることとなる、とともにこの刺客の殺害がシュワちゃんによるものでは?とリンクさせておきたい。


 途中で消える1つの可能性を除いて、犯人がシュワちゃんか、それ以外の捜査官かということになる。(女刑事は?となるかもしれないが、捜査官殺しに対して捜査という後追いが、シュワちゃんと行動を供にしている時点で勝手に排除される。事件に対して情報量の問題で彼らと遠すぎるんですよ。無知すぎるというか。演技だったらすごいってなりますけど・・・。)

 2つの可能性を引きずりながら物語はある場面を迎える。捜査官を殺したとされていた、組織が送り込んだ刺客が事件の前に殺されていたという事態が発覚する場面だ。刑事たちは刺客が犯人だと思わされていたことになる。刺客たちを容疑者として浮上させる証拠を誰が与えたのかということに思いを巡らせると、ここで刺客殺しの犯人が確定してしまう。シュワちゃんなのである。現場検証では発見できなかった、指紋等の決定的証拠をシュワちゃんが刑事に与えるのである。事件前に死んでいた者の情報を事件後に提供できるのは、その者と事件前に接触があった者だけだ。刺客殺しがシュワちゃんと確定した。ここが重要なポイントになる。

 1つの事件で犯人が確定した。動機はおそらく組織への復讐だろうと。次は捜査官殺しだ。と推理すべく事件の思考を移行させる時に、おそらく多くの人が考えるテーマは、組織への復讐という動機を踏まえた上で、

「シュワちゃんがなぜ捜査官を殺しているのか?」

ということになる。それかシュワちゃんが犯人とは確定しないものの、

「なぜ犯人は殺す対象である捜査官を何もせずに殺してくれる刺客を殺した上で、捜査官を自ら殺してまわっているのか?」

となる。

 なぜこのような推理を始めてしまうのかというと、この項の最初にも書いた広告の内容がわかりやすいのだが
「~なのか、~なのか」
のような選択肢が与えられていることによる。

 池だか沼に斧を落とした話を聞いたことがあるだろう。何の変哲もない斧を落としたのに、女神だかが落とし主に提示したのは金の斧と銀の斧。どっちを落としましたかと。そりゃどっちかを選択しなきゃいけなくなる者の考えもわかりますは。

 いや待て、これは落とした物、つまり答えがわかっていての選択肢の提示だから例えにならないな。解答者側が答えを知らない状態で、出題者がある問いに対して答えとなるべき選択肢を提示する状況を想定してほしい。解答者は出題者の提示する選択肢の中に答えがあることを信じ、何かしらを選択する、せざるをえない。問いと答えが出ており、その両者を結びつけるのは解答者の勝手な思考ということになる。ここで解答者にとって真に問題となるのは、

~答えが選択肢のいずれか?~

ではなく、

~選択肢の中に本当に答えは存在しているのか?~

ということだ。解答者は答えを知る由もなく、出題者に全幅の信頼を寄せ、その選択肢の中に答えが存在するという前提を与えらてしまっている。そのことに気付けない状況が出来上がってしまっているのだ。この「出題者VS解答者」の構図を、「映画VS鑑賞者」とイコールで結びつけてもらえば良いか。このクイズ形式は、第三者がその中に答えがありますよという信用だか信頼があってはじめて成り立つもので、しかし二者間でこの形式を用いて選択肢の中に答えがあるだろうと、そんなことは考えずに勝手に思考を始める鑑賞者がそこには存在すると。

 劇中における犯人の可能性の示唆としても選択肢をいくつか提示させていただいたが、ここで何が言いたいのかというと、選択肢を与えられることで、人は答えを1つ(乃至少数)に限定してしまうということだ。選択肢以外にあまりものを考えようとしない。

 つまり、先ほどの図を見ていただければわかると思うが、二つの事件における犯人のミスリードとして、別々に犯人がいるという思考ではなく、ひとつの事件における犯人が、もうひとつの事件にも関連するものとして、両者をひとつに繋げさせようとしている心理がはたらいている。

 犯人特定の話に戻すと、シュワちゃんの組織への復讐という動機による刺客の殺害が確定した上で、捜査官殺しを繋げようとすると、情報が足らず繋げることができなくなる。ここで鑑賞者にシュワちゃんが犯人であるという推理の自信を失くさせる。ここはうまかった。しかしここからがいただけない。そこで新たな情報を待つことになるのだが、その次に出てくるのが、捜査官殺しの決定的な証拠となる、犯人が残りの捜査官を殺すという直接的な描写だ。せっかくシュワちゃんが刺客殺し、現金消失の犯人という最後の「えええええええ」という告白を活かすための、鑑賞者の勝手な推理を促す演出が、ここで物の見事に水泡に帰す。シュワちゃんがひとつの事件の犯人であるとしてこの場面を観ると、二つの事件の犯人が別々の者による犯行であったと確定してしまうからだ。別々の犯人であったというのを、最後の最後で同時に明かせば良いものを、シュワちゃんを際立たせようとしたのですかねぇ、本当に残念で仕方がない。その後はアクションの連続。答え合わせの時間だったのか、謎解きの時間だったのか。最後のシュワちゃんの一言に「うん、知ってた」となる。

-信頼と裏切り-
 サスペンスとしての演出が散々なのであるが、この作品を擁護するのであれば、タイトルにも書いた信頼と裏切りが重要なテーマとなる。シュワちゃんが訓練において説いていた、チーム内の信頼が確たるものとなっていれば、この作品内の複数の事件は起きなかった。

 遡っていく形になるが、信頼があったならばまず、現金消失に関してチーム内の誰が盗んだのかという問題がまず解消される。故にチーム内の殺しは起こらない。

 次にシュワちゃんの独断専行による組織への復讐のための現金強奪。チームの者たちを信頼し、組織への復讐を公のものとしていれば現金消失に関する事件は起きなかった。

 まぁこれだけだと、麻薬戦争で最強を誇る部隊の功績の数々は、チーム内の信頼が可能とした賜物である。そしてある事件から裏切りという崩壊をしていったともとれるのであるが、そもそもの裏切りは、なぜシュワちゃんは組織への復讐にチームの協力を得ようとしなかったのか、ということにはじまる。ここでシュワちゃん視点でチームのメンバーを少し見つめてみたい。

 メキシコだったかの組織の関連する事件後に自暴自棄になり、復讐の鬼と化すシュワちゃんが描かれる。そんなシュワちゃんに、復讐をしても妻子が戻ってこないとチーム内のある者が諭す場面があり、そこで気持ちは解消されたようにも思われるのだが、劇中のリアルタイムで再度妻が殺される場面を見つめるシュワちゃんがいる。引きずっていたのだ。復讐心を引きずる男と、死を仕方のないものと位置づけるチームのメンバー。この差が大きいのだろう。復讐したい気持ちはわかるが、死は変えられない。戻らない。という前提が彼らにはあった。仲間が惨殺されたにも関わらず、シュワちゃんも含めてだが、その死を口実に酒盛り・パーティを開催している様子からもそれは伺える。彼らなりの死者の弔い方なのだろうが、そんな者たちに大切な存在を殺された、やるせない気持ちを引きずる男の考えなど理解されようがないだろう。故にシュワちゃんは独断専行に奔ることになる。

 誰にも理解されようのない彼の悲しみ。そして復讐という自己満足と波紋。これが折角のサスペンス要素を崩壊させているちぐはぐな演出と、残虐描写とに関連させていると思われる(残虐描写に関しては次の項目で)。


〇余談
・残虐描写について 
 人が撃たれる様が直接描かれる。銃声や殺したことを醸し出す別の映像ではなく、そのまま描かれるのだ。これは何を意図してのものなのだろうか。シュワちゃんの愛する者を殺された言葉では伝えきれないものを、鑑賞者に不快な思いをさせてまで映像として表現したのだろうか。(フィクションという前提があり)他人が殺される映像を観せられる鑑賞者ですら気分は良くない。それが愛する者だったらと・・・、ってな感じなのだろうか。そして妻の銃殺と最後の妻を殺した者の銃殺の見せ方は意図があったのだろうか。同じ目に遭わせてやると。要は復讐ですから・・・。

〇最後に
 サスペンスとアクションの融合した作品と謳っているが、それぞれに別のパートとして描かれている感があり、どちらも中途半端に感じてしまう。アクションありきのサスペンス、サスペンスありきのアクションという表現では決してないわけで。サスペンスパートだけだとダレるだろう、アクションで緊張感保ちましょうってな感じに思えてしまう。
 そしてシュワちゃんというキャラクターが立っての作品ではない。時折観せるドンと構えたスタイルはあるものの、必要性をあまり感じられないというか。敢えてのシュワちゃんという安心感の演出だったのだろうか。今までのシュワちゃんではないと最後決定的に印象付けたかったのだろうか。しかしこれではシュワちゃんにはこういう映画はあまり向かないなっていう感想で終わってしまう気がする。今までに出来上がってしまったイメージというのが大きすぎるんだろうな。しゃあない。

 まぁ何とも垢抜けない作品に仕上がっております。私は嫌いじゃないですけど・・・。

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