2014年10月17日金曜日

リアル 完全なる首長竜の日(2013)

リアル~完全なる首長竜の日~[DVD]


~死と眠り~

〇想起する作品 
・「ザ・セル」 
ダイブネタ。
・「13F」
何階層にもわたるシステム。
・「イグジステンズ」 
「13F」に同じ
・「インセプション」
階層システムと階層における時間の流れ方。
・「記憶探偵と鍵のかかった少女」

〇こんな話 
 自殺未遂をした漫画家の彼〇の脳内(精神世界)へダイブ。彼〇はいったい何を感じ、何を思い、何を考えているのか。首長竜の絵が、そのカギを握る。はてさて。

〇騙される心理 
 彼女の精神世界のイメージが現実世界へ干渉することにより、若干のホラー要素を演出し、ダレがちである恋愛要素に対して緊張感を保っている(この程度の理解だと騙されます)。彼女がグロテスクな漫画を描く人間であるが故に、現実(とされる)世界に現れるとされる不可思議な現象たち。彼女のイメージが彼に流れ込んできていると。そしてフィロソフィカルゾンビの存在。この二つがしっかりと互いの世界(観)の反転の伏線となっている。干渉に関しては、現実に現れてくる現象に対しての言い訳。ゾンビの存在は現実か夢(精神世界)の区別のための情報となる。干渉ではなく、単に漫画家である自分の精神世界であったわけです。あ、ネタばれしちゃった。でもゾンビに関しては彼女からの輸入と考えてもいいのか。意識・無意識による世界の限界と、都合の良い存在、一種の記号のようなものとされるゾンビ。まぁどちらの精神世界のものなのかは複雑だわな。 

 このゾンビなどのホラー要素が、彼女から彼への精神世界から現実世界への干渉システムでなければ・・・という可能性を全く考えなかった。自分が情けない。ミステリーとして観ないとすぐ油断するからなぁ、私は。いくらでも観てきただろう、この手の映画は。はぁ~。 

 〇色香 
 綾瀬はるかの不思議ちゃんイメージ(+清純?)からか、わざと女医さんをエロく演出していると感じる。釣り合いを保つために。ま、そんなエロくもないか。作品中のキャラクターとは合っているが、やはり綾瀬はるかには色気を感じない。そこがこの映画の欠点に思えてしまう。不思議ちゃんとエロスという要素を二つ持っていれば良かったのかと言われればそうとも言えない気がするが。せめてラバースーツでも着させればいいのにと思ってしまう。この作品はおそらくわざと綾瀬はるかのボディラインの出にくい服装をしている(契約上なのか)。しかし日本における日常と精神世界の違いにおける違和感の演出を映えさせるためには、日本で普段使用されない(というより私の生活圏でただ見かけないだけか)ラバースーツのようなものはいらないか。そしてね、物語の反転を考慮に入れると、やはり綾瀬はるかで良かったなと思ってしまう自分がいる。前半部で「不思議ちゃんめんどくせっ」と思っている自分が、反転してからは「良いなぁ~」と思ってましたからね。 まぁつまり、綾瀬はるかで良かったわけです。個人的にですけど・・・。 

〇ジャパニーズホラー 
 不気味さ、グロテスクさの表現は海外仕様には劣るものの、やはり同じ日本人だけに海外産では感じ得ない恐怖を覚えてしまう。この作品の場合は人間の無表情による演出だ。この演出により、普段の生活で日本人の顔・表情を見慣れているだけに、我々の日常生活においてその現象がいかに異常なことであるのか、ということを敏感に感じ取ってしまう。故に不気味さが格段に増し、恐怖を覚えることになる。 
 余談ではあるが、私は日本のホラーが観られない。海外産であれば、何か別の世界と割り切って観られるのだが、やはり日本産は普段の生活と直接にリンクするものがあるだけに、もしかしたら・・・と私の現実世界に干渉してくる。そんなことを改めて感じさせられた。皆さんはどうだろうか? 

〇首長竜 
 こいつは何だったのか。イマイチピンと来なかったのだが、襲ってきたことに関しては何となくわかる。首長竜はモリオという人物に対するコウイチの罪の意識が精神世界で具現化した姿で、一旦は弁解により引くものの、もう一度襲ってくることになる。なんでやねんっと突っ込んでしまうのではなかろうかと思うが、まぁ心の奥底で、深層心理とでも言うのか、自分で許しを請うものの、相手が仮に許してくれたとしても、勝手にこちら側が許してくれないだろうなという意識があったのだろう。綾瀬はるかのこの世界はこういちのどうにでもなるとの発言からもそれが伺えるか。つまり、この精神世界は彼の意識下も無意識下も全て具現化していたと。んなところではないだろうか。 

〇死と眠り 
 最後に彼女が彼に対して起こす奇跡。彼を生き返らせるという御業(正確には死んでなかったか、死の一歩手前)。死という世界からどうやって彼を生き返らせたのか、ふと疑問に思ってしまった。勝手に考えていこう。 

 死は永遠の眠りにつくとも言う。眠りか。彼らは眠ることで共通の精神世界を冒険していた。これは単純にどちらかの精神世界であったのかと。実は生と死の狭間の世界だったのではと。なぜなら言葉のあやではあるが、眠りという共通点から死という世界とリンクしていたのではなかろうかと考えられるからである。そして眠りとは現実世界で行われるものである。つまり、眠りは生と死を結ぶものとしての機能を果たしているのだ。正確には眠りによって作り出される世界が、生と死の世界を結んでいるか。よって彼女が最後、現実世界に彼を呼び戻すという事象は、こういったことを考えると、「ふむふむ」ということになるのである。罪の清算みたいなものも感じたから、生から死へ移行できる世界としての精神世界という演出ではなかったのかなと。

〇最後に
 ラストは彼氏が目覚めてハッピーエンドというより、エンドレスセンシングって感じなのかな。我々が現実世界としているものは、それぞれ個人の世界(観)の衝突であるとかっこつけて言ってみる。故にこの世界は常に誰かの世界を体現していると。そんな世界は誰かに優しく、誰かに厳しい。甘い蜜を吸いたいな~。

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