2014年10月15日水曜日

大統領の料理人(2012)

大統領の料理人[DVD]

~美味しそう~ 

〇はじめに
 日本だったら配役は泉ピン子かな・・・。

〇こんな話 
 料理人の取材のためにオーストラリアのTVクルーが南極へ。そこで出会った女性料理人。 彼女はかつてフランス大統領の料理人だった。取材するにつれて明らかになる彼女の官邸サクセスストーリー回想。相手の心を掌握するのに言葉なんていらない。料理の味で勝負だ。 

〇おいしいとは
 料理をおいしそうに作る、観せるというのが印象的な映画な気がする。そしてあまり食べる演出がない気がする、食べてもらう対象の、つまり大統領の。しかし唯一とも言える大統領のトリュフをトーストで食べるシーンが堪らなくお腹をすかせる。トリュフなんか食べたこと無いんですけどね・・・。大統領が食べてるところを見られない。それは彼女も同じで、様子を見ていた人物から様子を聞くしかなく、手さぐり感がすごい。だからこそいろいろ試行錯誤し、おいしいというものへの追求ができる。と同時に成果が見えにくい。故に要求も大きくなり、費用も嵩み目の上のたんこぶにされてしまう。大統領もなかなかの通で、気に入られてしまうからまた仕方ない。

 大統領の好き嫌いを誰も教えてくれない。というか知らない。そしておいしいという演出は料理自体の味だけではない。まず食べる前に必ずと言っていいほどの真っ先に入ってくる情報がある。見た目だ。つまり視覚的なもの。いや臭いが先か。料理が出てくる前に漂ってくるもんな。次に後々わかってくるであろう食べてくれる人の好み、過不足や何を必要としているか、生活柄、日々の体調等、専属料理人であれば様々なこと考えなければならない。彼女曰く、官邸という場所での料理は、規則に囚われ人に食べてもらうためという料理が為されていない。味としてはおいしくとも、それは真においしいとは言えない。料理人と食べ手の関係は信頼で結ばれているんだ。そこに美味しいという感謝が生まれる。

〇演出 
 料理の手順を口頭で述べながら調理する。これを癖として容認しろという。変な癖だなと思うかもしれないが、画として黙々と調理している姿を観せられても、鑑賞者は何が何だかわからない。こういう作業をしているんだよ、と調理過程も楽しませる。心もこもっていると。誰か対象への気持ちというか、そんなものもこめられていると。料理人がつまんなそうに作ってもおいしくはないだろうし。 

 南極と官邸での別れ方の対比。感謝されて皆に送り出されるのと、敵前逃亡のような去り方。料理人であるのに作り手・食べ手と何か壁がある官邸と、すぐそこに食べ手の笑顔が広がる南極。どちらの関係性が好ましいのだろうか。一長一短か、場合によりけりか。


〇疑念 
 残飯はどこへ行くのだろう。いくらきれいに、おいしそうに話を作ったところでこの問題はぬぐえない。おいしいものの表現は申し分ない。しかし、おいしいものの代償は? 作る時に出なかったか、ゴミとなるものが。食べた後に出なかったか、ゴミとなる残飯が。そんなことが気になってしまう。大統領の残した演出とか、料理人の大統領に残さず食べさせるといった演出の時だけでもいい。少しは食後の連想を入れて欲しかった。  料理人が食べ手に気を使うのは当然である。
プロセスが、

「料理を作る → 食べてもらう → 評価 → 次の料理へ」であるが、
                          ↑
                  ここにもうワンクッションほしい

評価に関して残飯が出てしまったという結果が、大統領の満足のいく物ではなかったという料理人の腕不足という主人公の戒めだけでなく、他の所にまわれば救われたものがあるかもしれないという責任や、作り手の気持ちや思いをもっと尊重してほしかった。商売においてそんなことは気にするべきでないかもしれない、そして大統領という食べ手がいてこその世界で、そんな些細なことは気にする余裕がなかったのかもしれない。しかしですね、食に関して通であり様々な文句や試行錯誤をしてきた者たちがですよ、食材に関しての責任や感謝をもっと持つべきなのではないでしょうか。いや、十分に表現されていたのかもしれないな。料理人は食べ手に対して美味しい料理を提供するということで、責任や感謝は十分に果たしているわけですからね。そこの試行錯誤を描けばもう十分すぎるほどか。

 まぁ、綺麗ごとや偽善ととられても仕方がないことですしね。この映画の物語上必要の無い事象でもありますし・・・。

〇最後に
 某ジャパン漫画で
「おいしそうなパンがあったらまず最初に食べさせてあげるのは誰だ」
という問いに、
「まずは自分で食べてみる」
というのがあった。「おいしそう」とはまだおいしいとは確定していなくて、人においしいものであるか不確かなものを食べさせるのは失礼だとか何とか。実験台は自分であると。この映画も大統領に食べさせるということで、料理として提供するまでに様々な試行錯誤があり、困難に見舞われる。そんなことからも、料理人と食べ手という関係性をこの映画は見事に表現していたのかなと。
なんか、お腹空いてきたなぁ~。

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