2014年10月24日金曜日

ジャージー・ボーイズ(2014)

~1つのパート~ 

〇はじめに 
 クリント・イーストウッド。あなたはどれだけの才能を摘み取り、挫折に追いやり、夢破れさせたのだろう。そしてどれだけの才能を発見・発現させ、希望を与え、夢見させてきたのだろう。この映画を観終わった後、そんなことを思ってしまった。 

〇こんな話
 フォー・シーズンズの歴史を、フォー・シーズンズとともに歩む映画。

〇パート 
 クリント・イーストウッドの創り上げる世界と言うのは何ともドロドロとこってりとした、まぁ簡単に言ってしまえば重いという印象が拭えなかった。この作品も実際のところグループ内外もっとドロドロな関係であったはずであるが、何とも淡々と描きだす。しかし要点はしっかり押さえるといった具合である。基本的にこういった誰かの歴史を模った作品はダイジェストムービーになりがちで、何とも急ぎ足に感じてしまうものだ。しかしこの作品はそんなことを一切感じさせなかった。逆に要点を絞りきれずに、だらだらと退屈な作品にもなりがちである。しかしこの作品は最初から最後まで一気に見入ってしまった。時間を奪われてしまった。いや同等の対価を払ったに過ぎないか。いやこちらの対価が足りないくらいかもしれない。そんな思いを抱かざるを得ない。 

 フォー・シーズンズというグループの者たちに焦点が当てられ描かれていくわけだが、グループという組織の存続における表事情と裏事情、それぞれ互いには知り得ない・知り得る問題を抱えているという境遇を、音楽と言う題材だけに、その人間関係における協和音と不協和音を見事に演出してくれる。 そしてなんとも陽気にすっきりとこの作品はエンディングを迎える。今までのドロドロとした関係を清算するかのごとくだ。「え、いいの?」と。いや、逆に「良かった」と思うかもしれない。そしてこのすっきり感の演出にはミュージカル調が見事に活きてくる。 

 関係性の清算と言うエンディングで感じた微かな違和感の正体。
 結局のところ、この作品は1つのパートに過ぎない。フォー・シーズンズとそれに踊らされた、躍らせた、躍った人たちが織りなすそれぞれのパート(人生)により形作られた人生と言う1つの作品に過ぎない。故に1つの完結を迎えているのである。我々が何かしらの疑問や違和感を感じたところで、彼らがそれで良かったのだと言えばそれでいいのである。何もそこに介入するべきではないというのではない。介入する余地があることに関して、あなたはどう感じどうすべきであると考えるのかと、自分の中で、そして他者との共有でひたすらに考えていけばいいのではないかと。文句を垂れるのも、受け入れるのも1つ方法である。私が、あなたがどう思おうと、彼らは彼らなりの答えに辿りついた。それを見つめ、あなたは・・・?という具合である。
 そしてこの作品に関わる、関わらずのまた複数のパートが織り成して、この世界はまわっている。直接的に関わるものもあれば、間接的という見えない、見えにくい関係もある。あなたは今までとこれからと、どのような関係を築き(に気付き)、どのような結末を迎えるのか。そんなことに思慮を巡らし、展望してみるのもまたおもしろいのではなかろうか。

〇最後に
 「ジャージー・ボーイズ」という1つのパートと、「かつおよろし」というパートが出会えた、交えることができたことに感謝。
 シェ~リ~、シェリベイビ~♪♪

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