2014年10月14日火曜日

記憶探偵と鍵のかかった少女(2013)

~勘違い~ 

〇はじめに 
 ゲーム・アニメ・漫画における登場人物(主に女性キャラクター)をうらやましく思ったことはありませんか。普段は人見知りなのに、ある特定の人物だけに心を開いてくれるような究極に一途であろう人物を好きになったことはありませんか。そんなあなたにはこの映画がオススメ。目を覚まさせてくれます。 

「あのな~、夢とわかっていても覚めたくない夢があるんだよ!!」 


〇想起する作品 
・「サウンド・オブ・サイレンス」(2001) 
・「インセプション」(2010)
・「サイド・エフェクト」(2013)
・「鑑定士と顔のない依頼人」(2013) 
・・・など 

〇こんな話
 自分だけが彼女の記憶の鍵を開けることができると思っている勘違い主人公と、あなたには私の記憶の鍵を開けるわという思わせぶりな少女が織りなす濃厚サスペンス。

〇騙される心理 
 まず記憶探偵という前提・設定から考えていく。

 記憶探偵という演出により、鑑賞者は序盤にどのような思考がカタチ作られてしまうのか。記憶探偵は相手の記憶に入り込み、事件や経験を追体験することができる。ふと、記憶とは事実をどこまで正確に表現されるのかという疑問が湧くのだが、それはここでは良しとしよう。 対象者の記憶への介入は何を意味するのか。対象者の記憶をのぞき見る上で、その世界に入り込むというような演出が為される。鑑賞者が得られる情報は、その世界では活動はできるが、干渉はできない、というものだ。これは記憶の中に自分という記憶が入り込んでいることを意味する。それはなぜか。仮に自分という記憶ではなく、対象の記憶における自分という存在が記憶に介入したとする。そうすると記憶の改竄という形で、その記憶に干渉することができることになるのだ。しかしそうではない。さらには事件の真相を探るという目的の下活動している記憶探偵がそのようなことを起こしては意味が無い。つまり対象者の記憶世界で存在し続け、記憶を追体験・傍観する存在は、対象者の記憶(の世界のもの)とは別のもの、別の記憶という定義が必要なのだ。記憶捜査を取り仕切ることができる、ということからもそれが伺えよう。
 では、記憶の中に記憶を入れるという思考に陥った上で、謎解きをはじめるとどのような真相に達するのか。読み解く上でのひとつの大きな鍵は、記憶の介入は決して主人公から少女という一方通行ではなく、相互に干渉してしまい、少女の記憶が主人公へと影響を及ぼすのでは、というものである。実際、記憶への介入を行ってから(彼が定義する)現実に謎の男が現れるようになる。これを少女の記憶からのものだと解釈してしまう。こういったことから物語の終着点は、現実と夢の混同による主人公の誇大妄想か、現実と夢の逆転によるものだと解釈することになる。 


 次に主人公が晒される境遇から考えてみる。 

 主人公の男は、ある少女を〇〇〇してくれと依頼を受けるわけである(自分から仕事を求めたようであるが)。まず肝心なのはファースト・インプレッション。彼の質問を予期していたり、サイコパスだかソシオパス診断においての期待する答えをはるかに上回るような分析力と判断力。その辺から彼女の能力における信頼性は高くなり、判断基準において彼女と言う存在に対しての偏見をもたらすことになる。彼女に対して比較対象(周辺人物)があった場合に、能力的に優れている者を、差別・優遇するのは当然のことだろう。
 故に、彼女の総じて「私は被害者である」という証言に対して同情を抱いてしまうのである。そして今までに起きた・起こした事件には、「彼女が無実である」という前提のもと、裏があるという思考に陥ってしまう。これが見事にハマっていると思う。彼女の主人公に対する心理トリックは、我々鑑賞者にも介入してくるからだ。最後の彼女が我々に視線を送ってくるのもそれを意図してのものと考えられる。

・思わせぶり 
 謎を読み解く上で、何か関連するのでは? ヒントになるのでは? という思わせぶりな演出がいたるところに為されている。この演出に何の意味があったのか、最後に疑問を抱いた方は多いのではないだろうか。これが何を意味するのか、私が辿りついた1つの答えを提示させていただきたい。 
これは男性視点での考えであることをはじめに言っておく。 

 皆さんは片思いをした経験はおありだろうか。・・・よし、設定は学生時代にしよう。そして入学したて、転校したてぐらいがより深められるな。どんなはじまりかというと、 
ある程度同級生を把握してきた頃に、今までに特に意識はしていなかった、存在すら知らなかった女性がいるとする。それがある日、何かをきっかけに突然気になりだす。あれ? あんなにかわいい子いたっけ?・・・と。 
 あとは幼馴染ネタね。異性として意識していなかった存在が、少しめかし込んだくらいで恋愛の対象に変わる。・・・もうここまで来ると、漫画やアニメに毒されすぎです(・・・私だよ!)。 
 まぁ、まずはこんな感じで気になりだすわけです。そしてひたすらに一方的に思いを寄せ続けるわけです。何の進展も無くぐだぐだと、思いだけを募らせていく。それがふとある時、何かをきっかけに、想い人が自分に気があるのではないか?、というような希望に変換される。なんでもいいです。 
・よく目が合う ・・・・・・・・・・・・・・・・見すぎです。
・同じ時間のバスや電車に乗る ・・あなたが合わせているのでしょう。
・消しゴムを拾ってくれた ・・・・・・・そりゃね。
・自分にだけ挨拶をしてくれる ・・・んなわけありません。友達いないの?
・自分の机・椅子に座った・・・・・・そこに机・椅子があったからです。
・・・などなど、勝手に思い込む分には要素は盛りだくさん。一回目はただの偶然かもしれないと片付けるかもしれない。しかし、それが二回、三回と続いていくとどうなるのか、
「あの子は自分のことを好きかも知れない」と疑問形だったのが、
            ↓
「あの子は自分のことを好きだ」という断定に変わってしまう、いや、変えてしまうのだ。
客観的に見れば全くと言っていいほどそんな素振りは無い。しかし、自らは勝手な主観で物事を判断し、自らに都合の良いように解釈してしまうのである。恋は盲目・・・的な。

 まとめますと、彼女はただ普段通りの生活をしていただけなのに、男側は勝手にその行動が自分に向けてのものと勘違いしてしまい、自分の都合の良いように解釈してしまうと。簡単に言えばストーカーの形成過程をそのままになぞっていく感じか。

 つまりはこの作品における思わせぶりな演出は、男性視点で
「ある女性がもしかしたら自分を好きなのではないか?」
という思わせぶりのそれと同じだ。何ら意味は無い。思わせぶり、謎解きに関係してくるであろうと勘繰り、意味を持たせているのは自分という主観に過ぎないのである。まぁいますけどね、意図した行動で男をたぶらかす女の人。この作品のヒロインもたぶらかすほうですし・・・。敢えて学生時代という設定にしたことで墓穴を掘ってしまった。

 意図した行動である方も考えていくか。彼女は男性を虜にする方法に長けていたわけであるが、彼女は何も探偵のことを本気で好きだったわけではない。自らを助けるために、彼を陥れたに過ぎない。先ほども書いた、彼女がどういう人物であるかという前提を意識してしまうと、同情から彼女を疑うという行為よりも信じるという行為が上回ってしまうために、彼女のアプローチを戸惑いながらも受け止めてしまう。そうなったら彼女の思うつぼ。彼女は主人公に対して、勝手に意味を持たせるような表現をさりげなく織り交ぜていけば、事は勝手に彼が大きくしてくれる。彼女にしてみれば、こいつちょっろw・・・となるわけです。彼女の良いように操られちゃうわけです。
 思わせぶりということに関しては、意図の有無に関わらず同じなわけです。意図してか、意図せずかの行動は勝手に意味を見出すものがいれば、その者に都合の良いような意味が付加されていく。それは第三者視点では意味の無いものであるとわかるも、当事者となってはそうは言っていられない。気になって気になって、確かめられずにはいられない。「好きだ~!!」と爆発する日に向けて、カウントダウンは進んでいく。さて、どうなることやら・・・。

〇事件へのアプローチ
 ある事件に対する人間の主観によるアプローチとして、思わせぶりと言う観点で、片思いという少し偏った事象で説明させていただいたが、ここではもう少し真面目にお話を進めていきたい。

最後に記憶探偵から語られる言葉ではあるが、
「この記憶による証言は裁判において信用に足るべきものとしては扱われない」
とのこと。ここで記憶と言う主観が危険性を孕んでいることを再確認することになる。記憶はどこまで事実を忠実に再現しているのかと。
 この作品において語られてきた、彼女を擁護するかのような記憶探偵の捜査は、このオとし方により、完全に彼女が主人公をハメたという見解に行きつかせるようになっている。彼女が悪いと。しかしこれは記憶探偵の彼女に関わった時間の、主人公の主観という記憶に過ぎなかった。ここで疑うべきは主人公の自覚の無い記憶の改竄である。
 この作品はリアルタイムで事件が進行していく様を観せられていたのではなく、ある程度事件から時間が経ち、主人公が彼女が犯人であるという見解に達した上での、事件当時の主人公の主観的記憶の解釈を観せられていたということになる。主人公にしてみれば、彼女にハメられたという状況であるが、我々鑑賞者にしてみれば、彼女が彼をハメたのだろうかという疑問の前に、主人公が我々をハメているのではないかということを疑うべきなのである。極論を言ってしまえば、この作品内で起きた事件(ミステリー要素)はまったく謎解きをする必要がない。ある真相に達したところでそれは、(無自覚に)彼にその真相に辿りつくように操作されている危険性があるからだ。

 まとめると、この作品で考えるべきテーマ
~ある事件に対して、一方的な視点(主観)でアプローチしてみたら?~
・・・ということになる

〇最後に 
 はじめににも書きましたが、この映画は夢に浸りすぎた人を見事に現実に引きずり戻す映画です。現実に夢のような、自分だけに心を開いてくれる美しき女性がいたとしましょう。まずは鏡を見て自分の顔を確認してください。その人に相応する容姿ですか。そしてスペックは伴っていますか。 仮にツンデレ属性がいたとしましょう。あなたに見えているのはツンの部分だけです。どこに好きになる要素があるのでしょうか。人見知りな女性がいたら・・・、あなたとの接点はきっとできません。避けられますから・・・。我々がそういった夢の世界の住人を好きになるのは、外面と内面の両方を観察できているからです。その差、つまりギャップに萌えるのです。しかし、現実に我々に見えているのは外面に過ぎません。残念ながらギャップ萌えなど存在しないのです。
 率直に言いましょう。いくら空想世界に夢を描いたところで、あなたは現実世界ではあなたの夢見るような主人公では決してありません。つまり夢の世界のようにうまくはいかないのです。実際にそういったシチュエーションに陥ったとしたら、この映画のようになります。・・・といったように警鐘を鳴らしてくれているのです。お前がそんな幸運に巡り合うわけが無ぇ。恩恵に与る要素がお前のどこにある?・・・と。寝言は寝て言え。夢は寝て見ろ。現実に夢を持ち込むな。仮に現実に事が起こったら何か裏がある。 
・・・全てを疑え!!

・・・・・・もう、私のHPが・・・

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