2014年11月8日土曜日

グランド・ピアノ 狙われた黒鍵(2013)

グランドピアノ 狙われた黒鍵[DVD]


~キー~ 

〇はじめに 
 演奏を作っていく感じに鳥肌が立った(ここは劇場用だろう)。それ以降はサスペンス要素に夢中で、あんまり音楽が聴こえてこなかった。しかし、そんな人たちのためにエンディングロールで全ての演奏が聴けます。圧巻です。 

 〇こんな話 
 過去のトラウマで舞台恐怖症に陥っていた主人公。ある日恩師のピアノによる講演で復帰を果そうとする。その恩師は曰くつきで、多額の隠し財産があるとかないとか。そしてその財産はピアノの中に隠されているとされ、開けるのにはある曲を弾かなければならないと脅される。その曲目はというと、彼が舞台恐怖症に陥る原因となったものだった。はてさて・・・。

〇金庫 
 ピアノ自体が金庫の鍵になっていて、ある曲を一音も間違わなければ開けることができる。 生きているものの中で、その曲を弾けるのはイライジャ・ウッド演じる主人公のみ。
 ピアノ自体を金庫にしてしまうという発想。鍵盤=鍵ですか。なるほどなるほど。最近思いつく開かずの扉をもつ金庫は、何重もの暗号や、動体検知センサー、振動感知センサー、などなどハイテク技術によるものばかりだった。その設計者の上をいく頭脳の持ち主と、仮に方法があるにしても、それを可能にしてしまう実行力と運の持ち主。みたいな金庫破りものはたくさんあった。しかし、これはある音楽を奏でなければ開かない。しかも一音でもミスしてしまうと開けることができないというからくり要素。運など適用されない本人の実力が確実に結果に左右するという展開。過去には知らないが、最近では観たことがなかった仕様である。

〇鍵 
 重要なのは最後の4章節だけだそうで、弾き直すことでも開けることができる。一音も間違うことができないという緊張感で話を盛り上げ、しかもそれが大衆の前ということで緊迫感はピカイチだった。・・・にも関わらず、最後の最後で4章節だけを弾き直すことで金庫が開く。となると主人公が弾く必要なくなっちゃったよ、と感じられてしまうのだ。その曲でなくてはならないという、リズムや弾きの強さなどが重要ではなかったようで。主人公である必要がある要素が「手の大きさだけか~い」と突っ込んでしまう。ロボットでも開発するかという話を交えるシーンがあるが、犯人ほどの知識があれば楽譜を読み解いてなんとか弾き終えてしまえば、手に入る。
 まぁつまり、金庫を開けるのはその曲の音楽やメロディではなく、鍵盤を押す順番であったとなるのだ。何ともがっかりである。

 犯人が主人公を助けようとするシーンがある。曲を弾けるのが生きている者の中で唯一人という理由が大きい。唯一金庫を開けられる存在を死なせるわけにはいかないという犯人の緊張感。 しかしそれも最後の演出でおじゃんだ。まあ一番の問題であったのが、代物が伝説の人間のピアノだったというだけに、公演やらの移動で一つの場所にとどまるのが限られた時間だったということだろう。故に犯人は劇中の行動を起こすしかなかった。それを忘れてはならない。とはいっても何だかな~、もっとどうにかなったでしょと思わせてしまう出来になってしまっているんだよなぁ。

〇最後に
 指揮者が主人公のプレッシャーを小さくするために、観客は演奏を間違えたところで気付かないから大丈夫だ、などと発言する。これが後に大きな意味を持ってくる。金庫の鍵であったこともそうなのだが、それよりも観客の誰ひとりとして彼の芸術としての演奏を理解していないとして映画が終わることが問題なのだ。劇中彼は犯人に脅され、それを打開しようと演奏のことなど考えている暇はなかった。演奏の最中に状況の打開を図ろうと、演奏よりも対策に躍起になる。それをもってしても彼は演奏を完成させてしまうところが、天才足るが所以なのだろうが、それならばもっとすばらしい演奏ができただろうということになる。しかしラストは拍手喝采、スタンディングオベーション(だったと思う)。おやおや~。
 そもそも芸術とは何なのか。観客に感動を与えようとして為されるものなのか。それとも芸術家のエゴの押しつけか。・・・とこの映画から少し考えてみよう。彼は観客に聴かせるための演奏など考える暇は無かった。金庫の問題からどうせ間違ったってというスタンスで曲を弾いていた。それなのに最後の大歓声である。天才ピアニストの復活を祝ってのこともあるだろう。しかし犯人を除く誰一人として、彼の演奏した曲の間違いを指摘できない、気付けない。観客はそんな不完全な演奏に大満足である。何とも滑稽ではなかろうか。演者に間違ったところで色あせない芸術性があるのだろうか。それとも鑑賞者が芸術を評価していると錯覚している自分に酔いしれている状態に大満足なのか。おそらく後者であろう。鑑賞者は盲目である。というのがこの映画で私が一番におもしろいと感じたメッセージであった。
 芸術はその芸術と評価するものとがいて成り立っている。そしてそれに価値をもたらす者だ。
「芸術 ― 評価する者 ― 価値をもたらす者(お金を出す人)」
といったように繋いでいる。しかし劇中のような状況であると、仲介者である評価する者が省かれるか、価値をもたらす者と同義になる。その辺りが、鑑賞者(評価と価値とが同義になった者)を盲目にする。人によっては、映画をここで勝手に語っている自分もさぞ盲目に思えることだろう。悪しからず。
・・・と最後といってまた長くなりそうなので、何もまとまっていないがこの辺で終わりにする。芸術に関して考えるのには、もっと良い題材になる映画があるのでそちらで書いていくことにする。
作品のタイトルは「鑑定士と顔のない依頼人」
項目名は~芸術という産物~とでもしておく。お楽しみに。
ではでは・・・。

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