2014年11月26日水曜日

MONSTERZ(2014)

MONSTERZ[DVD]


~死ぬまで生きる~ 

〇はじめに 
 能力者の能力の制限がかなり曖昧になっており、折角のおもしろくする要素を台無しにしている。最初の子供のころの演出で受ける彼の能力の制限は、目が合った対象を操れるということであったはずだ。それが数十年経った次の場面では目に映る全ての者ということに変わっている。能力を磨いてきたのだろうか。能力に伴う代償の演出でそれを示したつもりなのだろうか。まぁ能力バトルものじゃないからな。「Z」というところが主要テーマだからな。これでいいのかな。
・・・でもこれだと、何でもありになってしまう。何でもありなら、観る側に「それならこれもありだろ」というような反抗心を生んでしまう。それを逆手に取ってくるならそれもありだが、結局何も無く・・・。これじゃぁウケないでしょうよ・・・。  

〇想起する作品 
「アンブレイカブル」(2000) 
 MONSTERZを観た後、こっちを観てほしい。同じような対立と言うか関係性が、正義と悪という形で描かれている。どちらがおもしろいか、是非比較していただきたい。 

〇こんな話 
 ある日、見る者全てを操れる能力を持つ男と、その能力に唯一操られない男が出会った。何で操れないんだ。操りたい、思い通りにしたい。何十年も抱いていなかった気持ちが蘇る。いったいこの気持ちは何だ。そう、これはまぎれもない、恋だ!!

〇Z
 操る男と操られない男の二人の関係性がテーマである。

 「死ぬまで生きる」というのが目的であった。これは彼のエゴであり、誰から認められているものではなかった。能力が故に、両親からも死すべき存在として認知され、最初の事件以降は誰にも気づかれずに生きてきたくらいだ。承認されるはずもない。 

 そんな存在を主人公は自分以外を操れるというところから、化物認定する(そもそも化物認定というのも、両親以来彼が初だ)。しかし、彼の執拗なまでの追跡と戦いを通して自らの能力についても自覚するようになる。そして彼に対してだけでなく、自分と彼というお互いに化物じみた能力を持つという共通項を見出すことで、最後彼に向けられた言葉が「死ぬまで生きろ」という、彼のエゴではなく他人からの承認であったことが、二人の関係性と彼に何かしらの変化を生んだという証明になっているのは紛れもない事実であり、この作品の根幹だ。 

 しかし彼にそれが適用されていいのかという疑問が沸き起こってしまう。彼は自分の都合の良いように他人を操り好き勝手していたわけで。いや法が適用されないというような終わり方ではなかったか。彼は全身を拘束されており、死刑執行を待っていたのかもしれない。それともただのモルモットか。つまり主人公の彼に向けた「死ぬまで生きろ」という発言は間近に迫る死に向けて、罪を償うという意味で生を全うしろということだったのかもしれない。いや逆か。能力が故に差別されてきたという、彼に対する旧人類からの罪の解放を意味するのか。もう背負い込むなと。解放されていいだろうと。愛する者にさえ化物認定されて、排除されるべく対象だと認識されていた彼にとっては、主人公の彼の生を認める発言と存在は何にも代えがたいものである。互いの存在が互いの存在証明であり、唯一主人公に認められるだけで、今までの感情は消化できる。正反対の存在はそれぞれが独立して存在するわけではなく、対を為すべくつながっていると。最終局面で主人公は左足を引きずり、操作系能力者は右足を引きずっている。対の存在であると互いに自覚した、という直接的な表現なのであろう。しかしなにかくだらなく感じてしまう。 

 そもそもの問題は、誰にも認知されないという理由で支配欲に駆られ、人を操り好き勝手生きてきた人間が、「死ぬまで生きろ」という承認を受けることに対して、何で彼が認められるのかという疑問の方が大きくなってしまうことにある。その承認が彼との戦いを通して尚認めることのできる主人公の寛容さということで、悪に対しての正義と定めたかったのかもしれないが、主人公のコメディ的演出が大きいために、ただの馬鹿だからという方に思えてしまう。・・・いや正義故の純粋さととるべきなのか。逆だったら良かったんですよ。悪側の自己満足的正義の承認。正義側は何か悶々として終わるという。「アンブレイカブル」という作品がそのような感じなわけだが。

 彼への執拗な執着は、主人公をひたすらにストーカーし、ちょっかいを出すわけであるが、これは自分を人を操れる化物として認識されたことによる彼への興味から沸き起こった衝動であろう。先ほども書いたが彼は認知されて生きてこなかった。唯一母親だけが生かされ、彼という化物を認識していたわけだが、母親に対しては能力が有効であるためにいくらでもごまかしが利くので大した問題ではない。いや、唯一能力の存在を知り、生かしており執着する存在であるという演出も為されるわけであるが、存在証明としては母親という以外に、同じ土俵(能力において)に立つべく存在ではないために却下しよう。

 彼の行動は、他人からの承認を得たかったというただの我儘だったと見ることもできる。自分の存在を唯一認めてくれていた母親という存在の消失。能力ではどうにも手に入らなかった母親からの愛。それを失くしてから彼は孤独に生きてきた。支配欲を満たすことで孤独を紛らわしていた。そんな中に唯一操ることのできない主人公の出現。興味、関心、沸々と沸き起こる様々な感情。それはいずれ愛に変わる。 
・・・ありの~ままの~♪♪



〇対策 
 能力者に講ずる対策が甘すぎる。操作系能力者は人類の敵であった。視野に入る者全てが操られるという広範囲に能力が及び、明らかに危険な存在である。国家の存亡を揺るがすほどであっただろう。それにも関らず、彼らはどんな対策をとったのか。是非この映画を鑑賞して確かめてほしい。ここなんですよ。能力に制限性をしっかりとしていないといくらでも反抗心が生まれてしまい、つまらなくなる原因は。何でもありなのに、なぜ対策において何にもしないのよと。視野に入ったら操られるのよ、後ろから制止の合図をしようと振り返る隙を与えたら終わりなのよ。拘束なんて意味ないんだよ。まず目をつぶすんだよ(躊躇してしまうだろうが)。なのになぜ!! うーーん、バカ!! 

〇最後に
 石原さとみかわええええ。
 敢えて無表情をピックアップ。








ではでは・・・。

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