2014年11月11日火曜日

ザ・ライト エクソシストの真実(2011)

ザ・ライト エクソシストの真実[DVD]

~信仰~ 

〇はじめに 
 「エミリー・ローズ」を一緒に観ると、エクソシストという職業についてより深められるのではないでしょうか。 

〇こんな話 
 家系柄、葬儀屋か神父になることが定められている主人公。神学校へ。 卒業の年、彼は神学以外は最高の成績を収める。信仰に関して欠落しているものがあると悟っている主人公。ある時事故に遭遇する。そこで死を看取る時にお祈りを頼まれる。彼は彼女の頼みに答え、お祈りを始める。家の葬儀屋の仕事を手伝っており、死体は見慣れていた彼ではあるが、人が死ぬことに遭遇するのは初めてであった。そして信仰の欠落。にも関わらず彼はその事実を受け入れ、お祈りをしたのである。そんな現場を見た司祭?がエクソシストにスカウトをする。そしてある出会いから考えが変わり始める。はてさて・・・。 

・ざっくりと 
 急募!! エクソシスト不足しています。 

〇運命 
 まずある事故によりこのエクソシストの物語は始まる。 事故のあらましとしては、司祭がマイケルを呼び止めようと道路を横断しようとしたところ転んでしまい、それを避けようとした女性が車に轢かれ、マイケルにお祈りを請うに至る。ある一人のエクソシストの誕生にはこの事故が必要不可欠であった。信仰に関する心情の変化の始まりと、半ば脅しのエクソシストへのスカウト。様々な経緯を経てエクソシストになり、そしてこれから彼に救われていくだろう多くの命。一人の尊い女性の命が多くの命を救うのだという将来的な見通しを残してこの映画は終わる。 
 司祭がマイケルに対して、あの時転んでいなければ彼女は亡くならなかったと、私には責任がある気がしてならないと話すシーンがある。司祭は死んだ彼女に対して何かしらの免罪符を得ねばならなかった。そしてそれに必要なのは彼女と最後につながりがあったマイケルをエクソシストにするということになる。故に事故がマイケルのエクソシストへの道の転機だったととれる。事故で女性が死んだ時点でマイケルがエクソシストになる(多くの命を救う)ということは決まっていたのだ。

〇信仰 
- 悪魔を信じる、故に神を信じる -

果たしてこの道理は通ずるのだろうか? 

 彼は最初悪魔に憑かれた症例を精神病か何かの類と馬鹿にしている。そしてエクソシストという仕事を映画の中で描かれるような派手なものではなく、地味なものだと。しかしその症状・症例が実際に悪魔によるものではなかったとしても、本人にその自覚はないわけで、悪魔の仕業と信じているのならばそれが対象の真実なのだ。その辺の認識の違いなんだよな・・・。実際日本だと悪魔ではなく幽霊・悪霊といった現象で判断される。霊的な世界においても文化や地域色が存在するわけだ。仮に悪魔に取り憑かれるという事象を違う国に持って行ったら、別の原因が見出されることになるということ。つまり、原因が不明確なのである。ただ単に我々の目に見えない、手に負えないものによる恐怖を軽減するために、何かしらに理由をつけたいだけなのである。そして恐怖の軽減のために用いる違う方法として、我々は現象の解明に文化や地域色といった観点ではない、第三者的な立場の科学的な根拠を求めるようになる。これが「オカルトVS科学」のはじまりである。よく両者の対立が(おもしろおかしく)取り上げられている。オカルト側が劣勢を示す場合が多いが、恐怖の軽減という共通の事象が、両者を対立する存在としているのである。目的は同じなわけだ。

 この映画で言わんとしているところは、説明のつかない現象全てを、安易に・短絡的に悪魔と結び付けること無かれということなのだろう。劇中でも語られる精神病と悪魔憑依の混同。悪魔という存在を信じることで、人は悪魔により罪を犯す、という考えに至るのは非常に簡単で救いを見出しやすい見解である。単純化されるヒーローものと一緒だ。ヒーローものでは、正義が世界に悪(混沌)をもたらしていると定める(というより勝手に決め付けている)悪者を倒す。倒すことで次の悪の出現までの一時の平和を得られる。しかしこの平和は、悪の根源を排除したことではなく、悪をもたらしているとされる者を倒したという、周知の事実により訪れることに注意されたい。エクソシストの場合は、その者が信じる悪魔を倒す・排除することが、一時の人の心の安らぎを見出すことにつながる。本質的な問題が悪魔というところになくとも、対象がその現象をもたらしていると信じ込んでいる悪魔と言う原因を排除したとする事実を信じることができれば、やすらぎにつながるのである。つまり真の原因が解消されたとしても、その現象の解消に至らない可能性があると。そして信じなければ倒すことを許されない悪魔の存在。そこがまた複雑で。悪魔の存在を確かなものとする、証明するものとしてある事象が、現代ではマジックのトリック・タネといったようなもので、疑ってかかるスキがあるものばかり。傍から見れば笑止ってな具合に。ではどうするのか。信仰が鍵となる。

 悪魔が実際にいるという事象に対抗できるのは、悪魔がいないという否定的な見解を最初から持つ者ではなく、最初から悪魔はいるという見解に立ち、悪魔を追い払える・追い払ったという見解を得られる者でなければならない。なぜなら超常現象に関して科学者が科学的根拠を見出し、その事態に何かしらの対処ができるように、悪魔という何かしらの原因を見出し、それに原因を押し付けることで問題を簡易化することができ、且つ被害者にそれを信用させることができるのは信仰者という存在だけだからだ。主という存在の力が悪魔を倒せるという共通の見解。信仰者間だけで完結する関係性。信じる者(だけが)は救われる、という文言が皮肉めいて聞こえる。信者以外さようなら・・・。当にそれが悪魔という事象を通して露呈した。 ここが信仰というものにまったく縁の無い私の考えの限界。

 劇中に起きる悪魔と関連するであろう経験を通して、悪魔がいる(存在を信じる)という見解に立ち、故に神を信じる主人公。これは果たして通ずるのか。悪魔を信じることで、神の存在を信じる、ということは逆も通じなければならない。神を信じる、故に悪魔を信じる。となると、よく映画において描かれる不条理な出来事に関して被害者が訴える、神に慈悲は無いのか、という演出は仕方の無いこと、となるのである。神を信じる者は悪魔の存在も自覚しており、悪魔が罪を犯させるという前提ありけりで生活しているはずだからだ。それなのに信者たちは何を嘆いているのだと。日々の生活の中に起きる負の事象は全て必然である。故に割り切り、あきらめ生きていかなければならない。事後、もうそこには罪という概念は無い。といより、悪魔による事象・現象はあるとして生活しているから、実際に起きた際に何かしらの感情を持つこと自体がおかしいのである。誰の責任でもない。全ては何かしらにより創り出された悪魔の仕業なのだから。これは拡大解釈か。現実に罪を犯すのは人間である。その者が悪魔に取り憑かれていようといまいと。そこがまた問題で。罪を犯させる衝動(ここで言う悪魔という存在)は実態が見えない。それを存在するという証明にエクソシストといった人物が必要なのである。どこに、誰に責任や罪を背負わせるのか。どこかに矛先を向けなければ解消されない感情がある。それの簡易化、軽減を図るために、何かしらに原因を決めつけるためにだ。

 問題は神と悪魔の存在に関する道理であったわけだが・・・。
ここで問題となるのは、神と悪魔とを表裏一体の存在として、切っても切れないものとして扱っていることにある。信者全てがこの事実を受け入れているのかと。神を信じる者が、悪魔の存在を信じているのかと。もっと言えば、神の方を先に信じ始めた者が、悪魔の存在を受け入れられているのかと。どうも宗教というのは都合の良いように扱われがちである。奇跡が起きれば神の御業だと。都合が悪くなればおお神よ・・・と。全て神を中心に回っている。それ以外の悪とされるものを寄せ付けないためであろう。悪に原因があるのか、神に原因があるのか。悪魔の仕業だとしても、神を頼るのである。エクソシストが当にそうだ。神の御名において・・・。そこからはじまる宗教の誤訳と誤解釈。最悪それは意図的に行われる。都合の良い部分だけの抜粋。故に信者を煽れる煽れる。いったい彼らは何を信じているのだろうか。神か、悪魔か、神の教えとされる宗教か。その教えを説いているのはいったい誰なのか。
 まぁ、神と悪魔といった表裏一体の考え方はエクソシスト特有なのかもしれない。でもカルトや何やらで信仰を煽る時に限って都合よくこういった考え方は使われたりするよなぁ・・・。

 以上宗教というものを全く理解していない私が、偏見を全開に意見を述べさせていただいた。

〇最後に
 人を救うがために原因を悪魔と言及し、心配事を排除する。それが本当に良いことなのか?悪用する者もいる。 ある講義で突然停電というか電源が落ちる場面がある。そこである者がつぶやく。「悪魔の仕業だ」と。たかだか停電である。何かしらが原因で起こった事だ。悪ふざけで発言しただけかもしれないが、ただの停電に対しても、そのようなことを言ってしまう。何とも短絡的ではなかろうか。ここが問題なのである。原因が何かわからない事象・現象に全て悪魔や信仰的何かを当てはめる。信仰が人を盲目にする典型例であろう。信仰は何故にもたらされるのか。信仰の裏には理解という概念が・・・、
・・・これはまた別の機会に。

ではでは・・・。

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