2014年11月20日木曜日

白ゆき姫殺人事件(2014)

白ゆき姫殺人事件[DVD]


~創造神~ 

〇はじめに 
 蓮佛美沙子嫌いじゃないんだが、この役は上野樹里で観たかったなぁ。ダイワハウスのCMを見る限りの印象です。と最初は思ったが、最後まで観ると蓮沸さんで良かったのかと。うまいなぁ、そして怖いなぁ。あとキャラ的に井上真央を能年玲奈で観てみたい。

 噂話や勝手な謎解きが好きな女性の妄想を真に受ける男というのが何とも滑稽。これがジャーナリズム。当事者だったらとんだ迷惑だわ。不愉快極まりない。

キャッチコピーは
 「真実は解き明かすものじゃない、創り出すものだ!!」


〇想起する作品
 「ニュースの天才」(2003)


〇こんな話 
 いつでも、どこでも、誰でも、あらゆる情報が手に入れられる時代。それが正しいかどうかは別として、情報の伝達速度は光速化した。それは伝言ゲームと同じで、情報は独り歩きをはじめ、どこで誰が改変しようと留まることは無い。誰か止めて~。


〇創造 
 数々の真実が入り交ざり、ある事件に関してのひとつの真実が創り出されていく様が描かれていく。記憶というのは年月とともに改変、改竄されていくものとある者が言うが、おそらくその通りで・・・。 

 真相を探る報道関係の者、そのインタビューに答える者たち、報道に踊らされる赤の他人、自称親友、同級生、さらには当事者である者という視点で真実が暴かれていく。どれが真実なのかはわからない。いや、どれもがその者たちの真実なのだ。という思い込みであると知れずにだが。しかしそこには何の問題も無い。ここで問題なのは、その真実とされる情報が独り歩きを始め、当事者以外のところで別のものとして創り上げられてしまうことにある。自分という存在がわからないというような発言をする当事者。自分という存在がどのような人物であるかを証明するのは自分ではなく他者なのだ。SNSという情報収集能力や、伝達速度の向上による人間関係への影響が少なからず垣間見られる今日。世間ではスマホゾンビが横行し、常に誰かと繋がっていたいという意思が汲み取れる(これは私が勝手に信じている真実)。彼らは事件の真相なんてものはどうでもよかったのだ。事の顛末を知りたいだけだ。そしてその情報の最先端にいたいだけだ。乗り遅れるのが、皆とはぐれるのが怖いだけだ。情報社会における競争に必死なだけだ。疎外感を刺激され、見えない情報に翻弄され、見える人間に怯える毎日。人に嫌われないように生きていくことで、自分という存在を保つ。事前、事中、事後の意見や意思が変わったところでお構いなし。 問題は今の自分をどう保つかだ。今の自分を肯定的に捉えさせるために、正しかった過去を尊重するのか。それとも間違っていた過去を消し去り、 「妙技:手のひら返し!!」を繰り出すのか(これは恐るべき業だ)。 ツイッターにおけるつぶやきの内容の変遷、父親の世間と娘を敵にしたくないがための利己的な発言の数々。それらが対象の真実を創りだしているという現実。あなたはどう感じるだろうか。 


〇真実
 報道を創っていたものは最後の最後まで容疑者としていた者の顔さえ知らない。その程度の情報で、それはもうコツコツとひたすらに積み上げ、真実を創り上げていく。ネット民の馬鹿さ加減もそうだが、それよりも報道関係者を皮肉っている。どちらが悪いというわけではないけれど、そもそも情報に踊らされるネット民は情報の提供者がいてこそで、それを考えるとこの作品は、SNSの危険性と言うよりは、報道する側の情報収集及び選別のいい加減さと、事実確認の不足を問題にしている。それを先導していた者もそうだが、その番組を取り仕切っていた者は、下の者を恫喝し首を切るだけだ。人が変わっても構図は変わらない。また同じことが繰り返されていくのだろう。何ともいい加減な。この映画然り、そんな虚実の混ざった情報提供を我々は鵜呑みにしている。どこに真実があるのか。
・・・あなたが信じたものが真実だ。そんな世の中。


〇騙される心理 
 因果関係や動機を提示せずに都合のよい証言だけをピックアップすることで、新しい真実を築きあげる。報道の時間の都合もあるだろうが、そこには製作者の意図が介入する。当事者以外の当事者に関わった時間・期間だけの証言と、最後の当事者の小学生の頃からの順を追っての回想劇における対比がそれをうまく示している。少し証言に関して、取り上げてみる。 

・同僚1の証言 
 犯人しか知り得ない要素をインタビュー中にいろいろと暴露しており、なぜこれに気付けないのかと。まぁ気付けないだろうな。話の流れがぶつ切りになっているにも関わらず、記者は途中から想像入っちゃってるよね、と。想像で補える真実。ある程度つじつまを合わせるために推理が必要になるのはわかる。しかしね、真実を伝えるべく報道関係者がそれを真に受けるというのは・・・。ま、それがおもしろいんですけどね。彼の目的は真相究明ではなく、一発逆転のスクープだったわけですし。  

・同僚2の証言 
 送別会の主役の先輩をねぎらう典子の言葉に対して、後輩がごますりをしている場面。ここの人物が同僚1の証言において食い違っている。それぞれの証言において自分が主体になっている。ここでどちらかが嘘をついていることがわかる。この人物も独自の想像を交え話が進められるが、殺す場面には至っていないのでまぁ。 
 さらには独自調査を進める記者に対する同僚1の見解も明らかになる。完全にナメられてるだろ、と。 

 他にも証言者はいるが、容疑者は出揃った!! あとはいいや。

総括 
 証言を再現VTRにすることでより明確となるのだが、会話やその対象の食い違いに目がいきがちである(確かにそれも重要な要素ではある)。しかしそれよりもここでは時系列の問題として取り上げてみる。そもそも食い違いが時系列の問題と関連するのではあるが・・・。 
 それぞれに真実となるべく証言が異なる。これは何ゆえに起きるのか。時間の経過による記憶の改変・改竄である。現在と過去の比較にもなるのだが、過去における結果として現われている部分と、現在という動機や原因が渦巻いており、まだ結果に結びつかず現れていない部分。現在においてはその人物の行動の動機は見えていない。しかしそれが過去となると何かしらの結果として現れているものがある。それを自分の都合の良いように順番を並べ替えるのである。この映画での結果は城野美姫を犯人と決め付けることにあった。証言者が証言を進める上で、犯人は城野美姫だという前提は一致している。ここに騙されてしまう心理が存在する。彼らの証言で見えてくる彼女の行動に、彼女が犯人であるという前提で理由付けがされてしまう。他の動機があったとしても、典子を殺したという結果と結びつけてしまうのだ。その場面を以下に少し・・・。 

場面例(城野美姫の証言を事実として照らし合わせた場合) 
・ボールペンを盗まれた時にニヤついていた 
 これはボールペンを盗まれた時の捜索している時の状況ではなく、典子が美姫に芹沢ブラザーズのチケットをもらうという事実を受けての笑顔なのである。 
・バッグをラグビーボールのように抱えて階段を走って行った 
 これもライブ会場へ急ぐという理由であるが、自分が殺してしまったという罪悪感か恐怖という理由に置き換えられてしまう。 
・足指マッサージ 
 ただのマッサージが性交渉中の内容に・・・。 

・・・などなど盛りだくさん。いや~、この映画うまいね。上記のような証言者による因果関係の都合の良い順番の入れ替え。それに加えその情報をさらに番組が都合の良いように編集されるというのを巧みに描いている。  

 真実が形作られていく過程の証言とそれの取り扱いについて書いてきたが、そもそものミスリードは被害者ではなく容疑者に焦点を当ててしまった点で、典子と事件の全容のイメージが同僚Ⅰの証言で固められてしまっていることにある。後の証言でチラホラ典子という人物の黒い面や、証言の食い違いは見られるものの、比較対象は本筋となっている同僚1のイメージなのである。最初に提示されてしまうものを優先せざるをえないのは人間の心理か。他の同僚に典子についての証言を得れば何かしら見つかっていたはず。死人を悪く言うはずないか。典子に貶められたが故の自分の失敗談など話したくもないか。噂好きの女性の証言が典子の悪口よりも、城野美姫の殺人犯という真実の方が上回っただけか。

 兎にも角にも、答えありきで話を進めようとするのは「だめよ~、だめだめ」


〇余談 
 先生うざ。まぁ教師なんてのは・・・。やめておこう。どの世界にもこんな奴は存在する。自分も誰かにはこういう存在かもしれないし・・・。気をつけよう。まぁ、これも小学生ならではの受け方だからな。先生の意図とは違う風にとられている可能性も無きにしも・・・なしか。 

 あとこれ一番厄介なのが、真犯人の同僚よね。自称親友もか。いや、全員厄介だわ。それぞれが答えありきで話を進め始める。もう自分の中に答えがあり、それを真実として話し始めるから、仮にそれが自分の記憶ではなく他人から聞いたことも、自分の真実として話してしまう。世界を見る目にフィルターがかかっているのでしょう。自称真実というフィルターが。


〇最後に 
 当事者を日蔭者として描くことで、当事者という以外に、それぞれの証言者より信憑性のおける人物として描いているのだろう。しかし、これも彼女にとっての真実でしかなく、証言内容においては彼女の主観がふんだんに盛り込まれていることを忘れてはならない。でも実際うまいんですよね。真犯人以外の証言の再現VTRには、それぞれの証言者が必ず登場するんですよ。そりゃ証言だから当たり前なんですが・・・。その人にとってはその証言したことが全て真実なんですよ。それを踏まえると犯人しか知り得ないはずの事実というのを、犯人は誰かに置き換えて話しているととれるわけです。誰かに自分の何かを相談する時の演出で、自分の友達の話なんだけど・・・というのがあるではないですか。となると唯一犯行現場での様子を証言してしまった人物があやしいとなるわけで。 嘘を気付かれにくくするには、最初から嘘を積み上げるのではなく、真実を時折織り交ぜることがポイントなんですよ。逆だ、真実に嘘を織り交ぜるか。真犯人は自分の犯行に至るまでを、嘘で少し脚色したに過ぎない。そして記者はその証言、つまり城野美姫犯人説を本筋(真実)として、独自の推理という嘘を脚色していったに過ぎない。故に信憑性が増してくる。さらに都合の良い情報のピックアップもある。もう真実以外見えなくなるだろう。お~、怖い怖い。 


 あと擁護するわけではないが、三木典子も生きるのに必死だったんですよ。他者と自分とを比べて自分のプライド及び存在価値を保つためには他者を蹴落とすしか方法を知らなかっただけで。表には出してないだけで、コイツ裏では相当にヒーヒー言ってたはず。まぁ実際いたらムカつきますけどね。

 自分のいないところで自分という真実が創り上げられてしまう。何とも恐ろしいことだ。劇中の報道で城野美姫という人物の真実が創り上げられていったように、三木典子という人物は、自分以外によって作り出される自分という真実を、他者よりよく見せようと生前必死だったわけです。自分という存在を他者に依存するしかない世界・社会。面倒くさいなぁ・・・という言葉は心の中に留めておこう。あ、出ちゃったか。

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