~くどさがウリ~
〇はじめに
下見や下調べはしっかりしないとね。
・・・いや泥棒はいかんよ!
〇想起する作品
「ワナオトコ」(2009)
「パーフェクト・トラップ」(2012)
「NO ONE LIVES ノー・ワン・リヴズ」(2012)
「ドント・ブリーズ」(2016)
〇こんな話
CRUSH THE SKULL!!
〇あるある
え~っとね・・・、事態は急を要するはずなのに、映画としての尺稼ぎに感じてしまう彼らのまわりくどい行動の数々が気になるんだけど・・・
やたら散漫な与太話を盛り込もうとする彼氏に、怖いと笑い出してしまうムードクラッシャーな彼女に、計画性など微塵も感じさせないボンクラだけどどこか憎めない愛すべき馬鹿2人。
“今そんな場合じゃなくね?”の判断のオンパレードに、焦れったさを募らせるどころか呆れ果てる始末だが、これにはいったいどんな意味があったのか?
人間窮地に陥れば合理性を欠くだろうし、そもそも冷静な判断などできず目的すら定まらないことなんてしょっちゅう。
よく事件や事故における事前・事中・事後と対応の誤りを批判ないし非難されることがあるが、当事者として事前・事中対応した者と事後外野からわ~わ~言う者とでは、時間的猶予及び精神的余裕が全く違う。故に視点を変えて観られる、より多角的に見て判断できる。
いや反面教師として教訓としてその事実を知っとくというのには大変に意味があるわけであるが、ここでは単にギャップの存在だけを意識してもらう。
彼氏の散漫な与太話を簡潔にわかりやすくする彼女を最初に印象付けているが、これってそのまま劇中の人物のおバカ行動と鑑賞者のツッコミとってな構図と同義なのよね。
彼氏の様に何かしらオチのある話を他人にするとして、オチに向かって話を組み立て様とするわけだが、オチを知っているのといないのとで全く見えている景色が変わってくるという経験がないだろうか。
説明下手になってしまった経験…今現在私も苦しんでいたりするのだが… 後々どころか事あるごとに質問を繰り返されそれを受けてやっと話の詳細が見えてくるといった…
自分ではオチが見えているから説明を省いてしまったり、自分の伝えたいことと相手が受け取りたいこととに差異があったりで… 要は理解しやすい様に筋道立てて順序立てて話をするのって難しいってことなのだが・・・
話が段々余所へ行きそうなので、強引に戻すと。
そんな窮地でも生理現象や癖、習慣化したもの、あるいはこうあるべきだとする日常への回帰を図る行動は変わらず現れたりするのが面白いところで。
やたらくどい部分が辛かったりするんだけど、これに対するツッコミが決して野暮な訳ではないのだが、時折挿み込まれる張り詰めた緊張を緩めてしまう“あるある”が劇中の彼らの行動の焦れったさというのを段々と愛着のあるものに見せてくれるのよね。
この非日常下における日常回帰“あるある”とでも言おうか、これを皮切りに日常下からの非日常へのツッコミ“あるある”へと逆転させる件がもう見事で。
首だけになった友人の目を閉じてやる件を2回やるなんてのが典型的だが、これは人間思ってるより学ばない(いや思ってるよりも学ぶんだけど・・・)、例え教訓があろうとも同じミスを繰り返すという彼らの行動の補完の意味合いはもちろんあるんだろうけれど…、
当初からの死んだふりの件と絡ませた死体(死んだもの)と認識したモノが実は生きており動き出すというホラーのバッドエンド“あるある”への道筋でもあったのよね。これには唸ったね。
この“あるある”ネタを通じての劇中の彼らと我々鑑賞者との双方向のアプローチにより、段々と歩み寄っていった先の“それはずっと前から思ってた!!”という定番ネタに対する意見の一致。
堪らんかったわ(笑)
まぁでも「正当防衛」と「過剰防衛」と「オーバーキル」の間には越えられない壁がありますよね・・・
〇最後に
割と細かいところまで配慮して作ってる気がする。でも私では気付いてあげられないんだ…残念。
ではでは・・・
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