2017年11月11日土曜日

IT/イット”それ”が見えたら、終わり。(2017)

字幕翻訳:野口尊子


~無秩序型?~


〇はじめに
 音うるっせ!!


〇こんな話




 ホラーじゃなく観たいね。





〇うぇんざない!!
 スティーブン・キングの作品は全く読んだことがない、映画の「スタンド・バイ・ミー」と「ドリームキャッチャー」を観ただけの私の感想だけど、スティーブン・キング感は醸し出されてる。

 ピエロ(クラウン?)の怖さがどうのっていうより、独り独りが抱える自身(コンプレックス)なり家庭内(親子関係・児童虐待)なり学校(いじめ問題)なり社会的な差別なりの問題から浮かび上がる恐怖とそれに対して独りではなく皆で立ち向かうという少年少女の友情と恋愛における冒険譚に成長譚ってな方がメインだよね。子どもたちの和気藹々のシーンの方がおもしろいっていうね。なんかピエロのパートがそれを邪魔してる。やたらうるさいんだよね・・・



〇疑念

 元となったジョン・ウェイン・ゲイシーって秩序型のシリアルキラーだよね? 秩序型といってもそこまでみっちり頑なにってな話ではないわけだけど、このピエロの不規則さは何なの?

 気になったのはピエロの殺すと判断した少年少女の選別選考基準。ジョージーは手っ取り早く殺し、メインとなる少年少女はひたすらに焦らしている。この違いは何だったのか。

 そして最初弟のジョージーが腕を喰われることから子どもを食べるという認識が出来上がったわけだけど、後々ピエロ本人が子どもたちの恐怖を喰らうってな話をしてるのよね。子ども(身体)を喰らうのではなく、怖がらせることで恐怖心を煽りそれ(精神的なモノ)を喰らうってな話・・・

 でもピエロは最初の犠牲者であるジョージ―にどうやって近づいた?  まず警戒心を解かせたよね?  恐怖心を解いたよね? それでいて腕を喰らうんだよね・・・ 

 ピエロは子どもを怖がらせることでその募った恐怖を喰らうモノだという法則が後々明らかになるわけだけど、これだと子どもを喰らうために相手を油断させると映ってしまう。

 地下室にワックスを取りに行く程度でビクビクしているジョージー。子どもながらに抱く得体のしれない恐怖の存在を際立たせるこの導入は良いと思うんだけど、この犠牲となってしまう描写は後々それぞれの子どもたちへと繋げる上で肝心のピエロの法則を混乱させるよね。

 人間(子どもたち)にとっては27年ごとに起きる惨劇であり、ピエロにとっては27年越しの悲願?パーティ?

 これが1つピエロの恐ろしさなわけでしょ。規則性に法則性… これのおかげで確実に次があると想わせることが重要なわけでしょ? 子どもたちの結束にも繋がるし、おそらくチャプター2にも利いてくるんだよね? それなのにこのピエロの行動は何とも不規則で動機が不明瞭に想えてしまう。


 仮に子どもが怖がるのを楽しんでいたってんならもっと茶目っ気出しても良かったと思うけどな。ダンスシーンとかね。ショーであるってな観せ方をしないと・・・


そういえば、

 弟のジョージーは右手を喰われ、ラストの少年少女の血の契りは左手を切ってたよね? 何か関連があるの?







ちょっと自己完結してみるならば・・・


 腕を喰われるってのが死に直結すると思いがちなんだけど、これもジョージーの恐怖を増大させる1つの要素ってみると良いのかもしれないね。一旦警戒心と恐怖心を解いたことで不意打ち。

 つまりジョージーの恐怖心を解いて腕を喰ったところがメインではなく、不意打ち後の悶え苦しむジョージーの恐怖の方がメイン。単純に恐怖を募らせるバリエーションとして腕を喰らうってのがあっただけで、それが死へのタイムリミットに違いを生んだってな意味合いで良いのかな?

 こう考えればしっくり来るか? うん・・・、良い感じ??


 まぁでも何故このような混乱を招く描き方をしたのかの説得力には成り得ないよね。おそらくは画的にショッキングだからってな話なんだとは思うんだけど・・・







〇最後に
 少年少女のパートとピエロのパートが何ともアンバランス。

 ではでは・・・


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