2017年11月19日日曜日

吐露かつお 4貫目


~杉下右京~

 大分遅れたが相棒16の第1話を観た・・・

 木村拓哉主演の「HERO」でも書いたが、シリーズ化の弊害として回を重ねるごとに無条件に「主人公=正義」であるという構図が植え付けられていく。何が起ころうとも絶対的に主人公が正しいのだと。

 予告にて“正義は~という話があったが、「相棒」シリーズも例外ではなく、歴代の相棒やその他もろもろの人物が度々杉下右京と対立してきた。今回の件もその一環だろう。正義を謳う一方で、ではその正義とは何なのだろうか? と改めて定義する

 検察の聴取で杉下右京に不利にならないようにと、あるいは有利にはたらくようにと発言する者が多く見られ、正義故に…ではなく杉下右京だから…とする動機が見て取れる。彼らはフラットな状況からでなく、そもそもの事情を考慮することなく杉下右京を庇っている。

 杉下右京は絶対的な正義では無いのだと印象付けているのである。彼もまた1人の人間であると・・・。


 しかしこれを描く上でやっておかなければならないのが、杉下右京という人物像の定義である。様々な相棒を通して様々な事件を通して彼という人が変化しているのは事実であろう。しかし根底には揺らがない絶対的な何かがあるはずなんだ。なければいけないんだ。

 ある場面。伊丹刑事が“風の噂で・・・”と発言する場面がある。今となっては当たり前の様に使われており意味も通じるので別段問題は無いのだが、正確には“風の便り”という用法が正しい。ここに杉下右京が反応しないことに違和感を覚える。

 杉下右京とはSeason2の第12話「クイズ王」にて居酒屋でしかも見ず知らずの人間に対して“怒り心頭に達する” を “怒り心頭に発する”であると訂正するほどの人物だ。伊丹刑事にであれば尚の事注意が憚れることなんてないはずなんだ。たったこのワンシーンだけで杉下右京という像が揺らいでしまう。揺らがせるべき像以前のところでだ。

 全ての話を網羅しているわけではないので、この程度の誤用はいくらでもあることとは思う。シリーズも長くなれば段々と設定も忘れ矛盾も出てくる難しさもあるとは思う。脚本家は毎度変わるだろうし、中の人間だって入れ代わり立ち代わりだろう。しかし今回は状況が違うというか据えているテーマが違う。今回の単体の話だけで成立するものではない。もう少し気を遣って話を組み立ててほしい。

 なんだろうねこの虚しさは。結局は私が抱いていた杉下右京という像が勝手に揺らいだだけの話なわけだが、自分の中に抱いている正義の像が揺らぐということは何とも悲しい気持ちになるのである。




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