2017年11月11日土曜日

ファインド・ミー(2016)

ファインド・ミー


~運命~


〇はじめに
 宣伝文句として気を引かせたいのはわかるけど、“衝撃の〇〇!ってのはそろそろあり方を改めるべきなんじゃないかな…


〇想起する作品
 「REM レム」(2000)
 「恋人はスナイパー」(2004)
 「アンノウン」(2011)
 「ワン・デイ 23年のラブストーリー」(2011)
 「ラスト5イヤーズ」(2014)



〇こんな話
 絶対にお前を見つけ出す!!


〇運命
 彼女が語った数少ない経歴はどこの記録にも残っておらず彼女の存在の証明にはならない。しかし確かに自分と共に過ごした記憶は存在しているという葛藤。


 最初の記憶喪失ネタがジョークなのか本気なのかがよくわからないのだが、これは写真というものが彼ら2人を結び付けるという示唆なのであろう。唯一記録にも記憶にもつながるもの、それが写真(フィルム)であるのだと。

 現在と過去とが並列して描かれるが、どこかおかしな様子の彼女が映し出されている。嘘偽りで塗り固められた人生でどこまでが本当の自分かもわからなくなりつつある彼女と何気なくした口約束を必死に守ろうとする主人公。ここに2人の愛を見るわけか。





 2人で家に入る画から始まったが、それが家から出る画で終わるってな役割で・・・

 この最初の家というのは、僕の家あるいは私の家であった。それがラスト僕たちの家ということになっている。そして出ていく2人。写真がどうとか細かく見る必要は無いのか。単に2人が結びついていく示唆もしくは真に結びつくだろう示唆。結びつく運命であるととってもいいのか。

 単純に絵面だけを追えば、自らの家であると主張したところに始まり終始別行動だった2人がラストようやく2人で並んで行動している。別々に家に帰り、その家の中でも本当に顔を突き合わせているわけではなかった。それが漸く最後に向き合うことになる。




まぁ要は

 follow me? ➡ find me ➡ ???

ってな変化なんだよね多分。


 出会いから現在と過去とで同時並行で描かれ、2人が結びつくのと時間的な意味で追いつくってな話も掛かってるのかな?





〇不満

 記録に残っていない彼女の失踪という事で彼女の生活感が見えないのは良いんだよ。それでいて主人公の記憶から辿ることで見えてくる杜撰でズボラな一面やミステリアスともとれる何か闇を抱えているだろう示唆も。しかしそれとは逆に彼の生活感が無いところが気にかかるんだよね。

 彼女しか見えていない考えていないとする姿勢は良いのだが、その姿勢へと目を向けさせるためにベースとなるべき肝心の彼という人間が見えない。普段何をしているのかどのような性格であるのかといった人柄や雰囲気やそんないろいろ。常にクレアとの時間だけで紡がれようとしており、2人の関係に絞るのは構わないが、そこから彼という人間像を描く事はできなかったか。冷凍食品を咎める場面、2人食べているシーンだけでなく彼が料理をしている姿を描かなければいけない。包丁捌きにフライパン捌き、買い出しの様子だって良いし、最悪冷蔵庫見せてくれればどれだけ気を遣ってるかは伝わってくる。仕事に関してもグラフィックデザイナーだというがこれも結局は自称で終わってしまっている。どんな仕事を手掛けどんな実績があるのかくらいは示してほしい。

 この描かれ方だけでは彼女の事しか見えていないとしか描けていない。いやそれこそが狙いなのだろうが、彼女という存在を定めていく上での土台が落ち着かないんだよね。


 段々と見えてくる本当の彼女を描く上でまず彼という存在を同時並行で定義していく必要があった。彼女との生活を観せていくと同時に彼の生活感を醸し出さなければならなかったのである。彼女を見つめる上でベースとなる彼という視線がどうも唐突で浮いている。故に彼女も。


 まぁ私が見出せなかったってな主観ではあるわけだけどね。






〇最後に
 イマイチ腑に落ちないんだけど、2人の愛の物語だとして割り切ればまぁね・・・


 ではでは・・・





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