2017年11月8日水曜日

ドクター・ストレンジ(2016)

吹替翻訳:石山祐子



~時間~



〇はじめに
 常識という概念を我々が無意識に慣れ親しんでいる時間というモノを軸に細分化しうまく歪められたのではなかろうか。


 ただ、アストラル体、マルチバースといった単語に???が浮かんだ。これがどんなものなのかではなく、何なのかを描いて欲しかった。概念を形成してほしかった。例えば意味のわからない単語を出されたとして、それの活用方法や使用例ではなく、その単語が持つ意味を教えてほしかったということ。

 しかしこれは魔術における学びの際に、まずは入門書だという部分との兼ね合いで、まずは理解ではなく体感しろという話なのだろう。‟習うより慣れろ”と。3Dや映像をウリにしており体感型の映画ということで説明に時間を割くことで世界観を壊したくなかったのもあると思う。理解しようと想いあの映像に立ち向かうのは少々難儀である。

 だがこの作品をマーベルシリーズの入門書として用いる人もいるのではなかろうか。「マイティ・ソー」(2011)にて宇宙の話が為されていた際は地球人にその概念を説明するという形式で割と噛み砕いて話が為されていたと思うが、この作品にはその親切さがあまり見られなかった。

 しかしそれも何でも理論が先行する堅苦しい考え方が浸透してきた今のご時世の揶揄でもあるわけで・・・、この辺りをどう判断するかは分かれるところではなかろうか。





〇想起する作品
 「ウォークラフト」(2016)

 「FAIRY TAIL」
  ・・・別次元のエネルギーネタ(ダークディメンション)。
 「NARUTO」
  ・・・イザナギとイザナミ


〇こんな話
 なんか「ハリー・ポッター」みたいな感覚よね。




〇人類の強さ
 時間という概念を起点にアプローチする人類の歴史というところが私の中で勝手にひたすらに想起された。

 人類の強さとは何か、何が人類をここまで押し上げたのか。

 西洋医学と東洋医学の比較から入ったのはうまかった。西洋医学は人体の構造を見つめることで、それを細分化細分化することでよりミクロにミクロに目を向けることで、病というものと戦ってきた。要は原因を探るということである。根本原因を突き止めるということである。それを絶つことで体を元の状態に戻すと。それを最初の銃弾除去の手術で意識づけていた。

 これは見方を変えれば、人を軽んじている、蔑んでいるという見方にも繋がる。人は理解できるものなのだと。この考え方の究極系がストレンジの傲慢さに繋がっている。

 それに対して東洋医学。治すということを原因という部分的なモノを除去することでなく、円環(全体)を重んじる。悪い部分(だけ)を取り除くのではなく、善い部分を活性化させる。薬の力で治すのではなく、薬はその補助的なもので飽くまでも自己治癒力を高める。まぁ西洋医学とは対となってる感が伝わればいいや・・・

 要は理解と信仰というところの対比である。この対比を常識を疑えというところを起点にアプローチさせようと試みている。一番には上下左右が入り乱れることとなる映像だろうが、所々の小ネタもおもしろい。

 例えばエンシェントワンとは一体どんな人物なのかという勝手な思い込み。男でご老体であるという認識が先行しなかっただろうか。

 常識を疑えとして身に覚えのない文字列を見せられたら何を想うのか。なぁ~にがWi-Fiのパスワードだと。

 この現代的なところを活かしているのがまた憎いところだろう。大量の書物がある中で、読めない言語はネットの翻訳に頼るというのもあった。以前(大昔)はどのようにして言語は解読されていたのか。ネットが無い、翻訳機が無い、辞書が無い・・・

 知識の積み重ね、歴史の積み重ね。修練や鍛錬を観せながら書庫や書物を観せるという対比もうまい。過去(現在)から未来へと受け継がれる情報。積み上げられた紙媒体の情報は今やどこに集められているのか。そして人間には表面的外面的な厚みは端から見えない。技術革新が話題になるが、そんなもの人間は最初からやっているのである。

 時間という過去から未来への進みとエントロピーの増大とは別段関係が無いと言っている人がいたが・・・

 時間を1つ定義するものとして多様性が挙げられる。生物の進化を例に出すが、これはその環境下で生き残る術があらゆる方法を以て模索されたが故に起こったものだ。模索というと語弊があるかもしれないが、元々進化の分岐とはダメ元だったと考えてもらいたい。進化とは前段階の種を超越したものでは決してなく、今生き残っている種はより優れた種なのではなく、たまたま今の環境に適応できる力があったという偶然なのだと。この偶然というのもまた語弊があり・・・、結果的に必然とも言える。

 これがラストのループの件に掛かってくる。時間という流れの中に多様性で勝負してきた生命、要は数撃ちゃ当たるで生存競争を起こし勝ち上がってきたやり方を、時間をひたすらに巻き戻し繰り返すという事をして1人でやったというわけだ。

 これから宇宙を舞台に戦うことになるようだが、人類の強みは何なのかとこの作品にて1つ示した。ってな見方ができるのかな。

・・・あれ? でもそれは相手も同じか。



 ストレンジの瞬間記憶能力(一度見たものを忘れない)。これを彼自身は自らの能力として備わっているためにすごいと思わないわけであるが、周りの者は根っからの魔術師素質があるのだと関心を示していた、驚きを隠せなかった。そんなストレンジに魔術をすごいと言わせるのである。魔術を使える人間にすごいと言わせた人間がすごいと言っているという階層的なものが見える。よく使われる構図なんですけどね、主人公を際立てるための。こういった細かいところにも気を配られていた。



〇スタン・リー







〇最後に
 この製作陣で理解・分解・再構築の映像表現可能だな。よろしくお願いします。


 ではでは・・・




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