2015年11月7日土曜日

あん(2015)



~あん~



〇はじめに  
 差別や偏見の捉え方ってのは難しいものがある。「あん」ってものをどこに見出すかってことなんだよ。徳江さんの「あん」は何だったのかと。彼女の甘いものに対する実力なのか、人柄や優しさなのか、はたまたハンセン病という病なのか。店長さんが甘いもの嫌いというのもそことつながるんじゃないかな。ほんっとうに彼がおいしいと思う甘いものは食べられるわけでしょ。そして食べ合わせの問題もある。でも一度マイナスのイメージがついてしまうとそれ以上入り込まなくなるというのが現実問題であって。それが劇中で出てくる世間の無理解。声、言葉という表現も用いられていたな。この世の全てのものは言葉を持っていると。でもそれが聴こえない。いや聴こうとしていないんだ。 


〇想起する作品 
 「シザーハンズ」(1990)
 特殊な才能を持っていたとしても周りから認められなくては意味がない。 世間一般で言う常識とかけ離れている存在だと認められにくい。


〇あん 
 最初に再生を描いて、その後崩壊を描いている。ラストは想像しろと。暗転してからのやり取りが堪らない。徳江さんの言う、声を聴くってところなんですよね。 
 普通お涙頂戴話ならこれ逆にするんだよね。ハンセン病という差別があり(崩壊)、それが実力等で認められていき解消されることで前を向いて歩いていくと(再生)。これでハッピーエンドで万々歳。外堀から埋めて、最後中身を堪能して終わる。この作品は前半部分だけで十分良いドラマに仕上がっている。しかしそんなに現実甘かない。  
 これは最初にドラ焼きでいう「あん」の部分を見せる。正確には後に来るハンセン病という偏見や差別の過程で、年齢という偏見を見せ「あん」を作ることで1つの再生を描く。肝心のあんを作るシーンが堪らないんですは。そこからハンセン病という偏見の部分へ。ドラ焼きの「あん」を包む、いや隠す「生地」の部分だ。食べないとわからないんだよ。「あん」がどうこうなんて。そもそも入っているかどうかもだ。最初の桜の花びらが入っているという件もそれなのだろうか。異物混入云々で印象付けたかったのか。さらには、常連であれば「あん」の違いに気付くものの、おいしいという評判で来た者には違いがわからないというのも問題で。これはまぁいいか。



 喫煙者、ペット禁止・母子家庭、ハンセン病、進学 

 居場所の無い、排除されつつある存在をそれぞれのキャラで対比させている。この演出がハンセン病という知識が無かろうとも想像を容易にさせるのではなかろうか。

 屋上で店長さんが一服するシーンではじまる。住んでいるアパートの部屋では吸えないのだ(後のペット禁止とも掛かってくる)。調理場でも堂々と喫煙しない。ドアや窓を開けたりと気を使っている。しかしそれがある時自暴自棄になり、調理場で堂々と喫煙しているのだ。そして徳江さんの家を訪れる際の後ろに映るバス停の喫煙禁止の文字。分煙化が進む中での喫煙者という存在は・・・ 
 蕎麦屋?だかで灰皿が最初からテーブルには用意されていないというのもそれの示唆だったか。
 香りってとことも関係してたんだろうな~。匂いだっけ。あん作りの際にね、徳江さんが「変わった」って言うんですよね。

 
 独り塾に通わない子、通えない子。友達がいなくなるとこっそりとできそこないのどら焼きをもらう。見てくれが悪いと売り物にならないものだ。でも食べられる。彼女にとっての貴重な食料。売り物となるのは外身(生地)と中身(あん)が伴ったもの。最初は生地だけだったが。
 ペットが禁止されていることもある。そして母子家庭。母親はどこかの男に夢中。子どもに絵本を読むシーンが印象的。世話焼きである。 

 さらには彼女と同級生だか友達だかの女の子三人組。彼女らも進学に追われどこかに不自由を感じている。 

 ハンセン病患者の隔離、そして根強く残る差別や偏見の実体。世間の無理解に、いや自らの無知や無関心に涙が出る。



 徳江さんの誰がこの木を植えたのかという質問が、最後の件につながるのもまた素敵なんだ。
店長さんがこの地の者ではないという返答。木は、その地に根付くんだ。



〇逆転の発想 
 甘みに対しての辛み。徳江さんたちの言う言葉と、先代の奥さんの言うこの言葉。全く持って説得力が違う。それこそあんの詰まり具合。あんの味の完成度合い。甘みを引き立たせるための若干の塩味と、片や人気だからというお好み焼きとドラ焼きという安易な組み合わせ。この二つ同時に食わねえわ。 


 人間は内輪ネタを好む。同じ者だけで連みたがる。異を嫌うのだ。人間の歴史において、いや身の周りを少し見渡しただけで、差別や偏見における隔離や排除ってのは見てとれる。しかしその結果どうなったのか。いやどうなろうとしているのか。

 そもそも人間界における差別や偏見は、自然淘汰や適者生存として位置づけるべきなのか。人間界より外的な要因が他の動物とは極端に異なる生活圏を作り上げたが故に、自らの種で選別していくというシステムを構築した。ってな考え方もできたりできなかったり。


 甘みを引き立たせる辛み。甘みばかりではダメなんだと。時に辛みを刺激を。人間関係にもそれは言えるのか。この辛みの部分が差別や偏見を受け入れるのか非難するのかってのでまた違いまして。自分の意に反するものは確かに煙たい。しかしイエスマンだけで周りを固めたら、自らの思考以外を排除したら、どんな世界が広がるのか。そんなことにも想いを廻らしてみてはどうか・・・




〇余談 
 ドラ焼き屋の常連の女子中学生3人組ね。真ん中の子の笑顔がかわいいんですわ。村田優吏愛さんね、メモメモ。あの子に似てるんですよ感じが、・・・山口まゆさんに。


〇最後に
 まぁ私、差別や偏見の塊でゴミみたいな人間ですけどね(ゴミに失礼かな)。この作品は今のそんな自分(の価値観)を揺らがすものとなった。本当にすばらしかった。




0 件のコメント:

コメントを投稿

悪女 AKUJO(2017)

~アクションは爽快~ 〇はじめに  韓国ではこの方はイケメンの部類なの? 〇想起する作品  「ニキータ」  「アンダーワールド」(2003)  「KITE」(2014)  「ハードコア」(2016)  「レッド・スパロー」(2018)...