2017年3月22日水曜日

キング・オブ・エジプト(2016)

キング・オブ・エジプト


~信じよ~


〇はじめに
 なんかこんな作品あったよな。全く同じような内容のヤツ・・・ 「ハムナプトラ」だっけ?? 「タイタンの戦い」とか「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」といったギリシャ神話との区別もつかんのよね。どこの神話も兄弟や親子で問題起こしてるし。



〇こんな話




 ・・・これよく訳したよ。




〇信じよ
 アトラクションとして体感型の作品なのだろうことはわかるが、どうも神々というところが薄い感じがする。絶対さを感じずしょぼさが先行する。崇めたる神というものが際立っていない。なぜならその時代故のというのもあるが、人間の限度限界がわからないからだ。人間にできないことありきで描かれるはずの神々の実力。つまり最初に描かれるべきは神々にできることではなく、人間にできないことのはずなのである。しかし奴隷を使い建築した巨大な建造物を観せていたりする。神々の弱さ、いや落ち度といったところが気にかかってしまう。

 まず人間と神との関係を見せる必要があるはず。隔たりとした方が正しいか。崇める存在なのか、単に逆らえない存在なのかという。それを浸透させ神と人との共存関係から移行した「神>人」という支配と隷属の関係を、神ホルスと人ベックの共闘を通じて、2人の関係性の変化を通じて眺めることで、最終的なオチに意味を見出させなければならないはず。最初の神々の戦いにおいて為す術の無い者たちが描かれることでそれは事足りているのか。




 いや人は神に似せて作られたが故に人の強さを際立たせたいとしているのかもしれない。神の弱さを描くことでそれをさらに補填する。いやいやどっちの神に慕いたいかという後々の比較のためなのか。ホルスとベックの関係において、度々神を頼らざるをえない状況が発生している。逆はどうか。神が人間を頼るというよりは人間の思い付きで振り回されている感が先行する。つまりは神の寛容さの演出なわけか。そして慈悲がどうとか。人間の弱さに対する神の強さではなく、人間の強さに対する神の弱さ(いや、)。



 結局死というところなんだよね。門をくぐるために捧げ物(貢ぎ物)が必要とされていたわけだが、如何なることがあろうとも神(この場合ホルス)を信じた者は救われた。生き返ることを許された。そして死後の世界に行くのにもうそんなもんいらんよと。善行が大事だよと。はいはい・・・







〇疑念

 エジプト関連のお話って毎回のように女性の谷間を観せるわけだけどこれって根拠となる何かしらの記述があったの? 単に見映えのお話?



〇最後に
 この最初から「私は、神だ」というのが先行しているのはお国による宗教観の違いから来る単なるギャップで片づけられるものなのかな?? オチも結局はこうありなさい、神を信じなさいという宗教観の浸透狙い。終始引いて見ざるをえない作品なのはどうなんだろ。


 ではでは・・・



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