2016年4月29日金曜日

スポットライト 世紀のスクープ(2015)

字幕翻訳:齋藤敦子


~スポットライト~


〇はじめに
 まぁ~おもしろくない。正確にはおもしろくする気が無いと言った方が正しい。決してつまらないんじゃない。楽しませる気が無いんだ。

 私の周りに限ってだが、そもそも文化が違いすぎる。教会の位置づけがピンと来ない。多少予習はしていった方が良い。あと登場人物等、名前だけでは判断が利かなくなる。多少整理が必要になるだろう。


 助けとなるかはわからないが、最近よく話題に上がる男性教師の不埒な事件と照らし合わせると理解しやすいかもしれない。先生という立場を利用して、子供に手を出すんだ。一時期話題になった政治家先生御用達の専属業者でもいい。先生々々と呼ばれ、勘違いがはじまる不届きな連中。どこの国も一緒である。それ目的でなっている連中の方が下手したら多いのかもしれないが・・・ あちらさんの事情を詳しくは知らないので比較すべきではないこともあるかもしれない。



〇想起する作品
 「大統領の陰謀」(1976)
 「ニュースの天才」(2003)
 「ゾディアック」(2006)
 「それでもボクはやってない」(2007)
 「ダウト ~あるカトリック学校で~」(2008)
  ・・・予備知識の無い方はこの作品だけでも観とくと良いと思う。

 「消されたヘッドライン」(2009)
 「デビルズ・ノット」(2013)
 
 ・・・この辺りを観られた人たちは大丈夫だろう。



〇スポットライト
 はじめにも書いたが、おもしろくない。おもしろおかしくすることは十分にできたはずだ。エンタメ性を高めると言い換えた方がいいかもしれない。しかしそうは敢えてしなかったんだ。


 事件に対する教会の姿勢と新聞社の姿勢が同じだったという体で話は進行していく。謎解きや情報のつながりにおける真相究明におもしろさを割かないのはこれのためもあるだろう。真相を明らかにいていく者たちとして、彼らを正義として描いてはだめなんだ。

 安直に彼らを正義としないための楔も打たれてはいた。記事を考えるにあたり、それぞれのネタに関して強弱を議論していた。そして取り上げ方、コラムに続報?・・・等々。

 そもそも彼らはこれをなぜ記事にしようとしたのか。スクープのためである。しかも独占の。数字を気にしたのである。ここにインターネット社会の新聞社という位置づけを持ってきたのもさすがであろう。あとこれに対しての記者たちのメモを取る姿なのよね。ひたすらに足で取材なのよね。

 そして村社会であるということ。正義か悪かではなく、多数派少数派によって勝負が決まる。被害者は多数いたわけだが、マイノリティに押し込められていたわけだ。事件が闇に葬られてきた過程もうまく演出されていた。


 被害者からの手紙もあったが、何十年も神父の体たらくを教会が黙殺。示談にてうやむやに。裏取引だから裁判所にも記録として残らない。あるものは封印されているとか。

 なぜ今まで黙っていたと言う新聞社に対して、SNAPなる組織の人間は、5年前に資料は全て送ったと。そんときに無視したのはあんたらだろと。そして情報は全て新聞社に揃っていたことも明かされる。その事実をただ繋げられなかっただけ。繋げようとしなかっただけ。

 そこからの違いがスポットライトというところに掛かってくる。過去にやらなかったからそのままで良いというわけではない。今知ってしまった。知らせなければならない。だからこそ今からでもやるんでしょと。やらなきゃいけないんでしょと。過ちを認め、彼らは意志を貫く。


 ここが教会側と新聞社との決定的な違いである。この演出は見事であった。鳴りやまない電話にはついつい涙が出た。


 局長が言う。我々は常に闇の中を手探りで歩いていると。光が当てられることで真実に気付くと。


 スポットライトが当てられることで真実に気付くのか、真実に気付かせるためにスポットライトを当てるのか。

 スポットライトが当てられなければ気付かない者たちがいる。当てられていたとしてもそれが小さかったら立ち向かえない。SNAPなる組織と新聞社との比較が良い例だろう。注目度が違うんだ。それを掻い潜って悪事を働く者、うやむやに(隠蔽)する者がいる。そのために声を上げられない者、上げたとしても届かなかった者がいる。

 ここの難しさよ、バランスよ・・・

 ジャーナリズムってのは安っすい言葉かもしれないけれど重要なんだ。

 

 だがしかしね、実際問題本当に真実にスポットライトを当てているのだろうかというのも関わってくるわけで・・・

 「ナイトクローラー」や「ニュースの天才」みたいなのもあるわけでね。その情報に対して判断する力を養わなければいけないのは、彼らの姿勢に関心したところで変わりはない・・・

 でも冷めた目で見るってのはまた違ってね・・・ そうなるとまた注目度ってのが関わってきてね・・・ 

 この辺りでやめとこう・・・




〇余談
 pray (祈り)ではなくprey(餌食)になってるってな話が出てたけど・・・ playもあるんじゃないかな・・・  RとLで発音的な隔てがあるのか、右左といった対称性をとるかで変わってくるが。

 被害者13人ってなところがあったがこれは狙ったのか本当だったのか? 

 正確な区別は分からないが、ペドフィリアは一般的に13歳以下を対象とするとウィキにある。13ってのは不吉な数字と言われているんでしょ。だから13歳の子は、場合によってはそれ以下の子は清める必要がある~とかとっ散らかった奴が出てきそうだなとは思ってしまう。神父でも少し精神年齢低めの方がいらっしゃいました。

 「記事にした場合の責任は誰が?」
という判事に対して、
 「記事にしなかった場合の責任は誰が?」
という返答。こういう返答をしてみたい。




〇最後に
 ネットが普及し情報化社会になった今だからこそ暴けることがある。これはその最たる一例ではなかろうか。紙媒体の書物を見えん(読めん)と言ったところはツボだ(昔の本って文字ちっちゃいんすよね~、今もあるだろうけど・・・)。こういったところでもアナログな世界の見えにくさを表現していた。そんな中でも現地に赴き、直接人に触れる取材を行っていく。ここに現代において逆に失われつつある透明性や信憑性を重んじる彼らのジャーナリズムが見えてくる。

 おもしろくないとは書いたが、すばらしい意義のある作品であった。

 ではでは・・・


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