2016年2月7日日曜日

独裁者と小さな孫(2014)

字幕翻訳:安本熙生


~民意~

〇はじめに
 いつの世も、政治の腐敗は絶えない。そもそも絶やす気など無い。 



〇こんな話
 名も無きどこかの国のお話。


〇民意
 大統領はどうなったのか?

 ここが問題なのでは無い。ここから我々はどう判断するのか、どう行動していくのかというところが問題なのだろう。大統領を捉えようと追いかける者たち。最後彼らは足跡を辿ることとなる。これが大統領の歩んできた道ということなのだろう。彼らの過去の過ちをどうするのかと。

 「負の連鎖を断たなければ意味が無い」

 と。民衆が断罪を叫ぶ中、男は独り訴える。独裁政権下で大統領の命の下同じことをやっていたではないかと。それが今になってなぜ彼に、彼だけに責任を負わせられるのか。
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 海岸における足跡も何か狙ったのだろうか。いずれは消えるであろう足跡。風なのか波なのか。過去の罪もいずれは薄れる。忘れられる。罪を自覚し、自覚させ、一旦解消することに意味があるのだと。
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 彼はこうも言う。

 「民主化のために踊らせればいい」

 と。踊りがここに掛かってくるとは思わなんだ。大統領は独裁政権の下、民を踊らせていた。そしてギターを弾き孫を、民をまた踊らせていた。それが最後・・・

 1つの希望を見せたものも踊りだった。音楽もか。しかしそう易々とはうまくはいかない。花嫁がどうなったのか。政治犯として捕まり、愛する者のために拷問に耐えた男は。大統領の独裁政権下で、国民はどれほど苦しんでいたのか。希望の芽を摘んだのか。逃亡の最中、それを目撃していくこととなる。孫が目や耳を塞ぐシーンが時折入る。子どもに見せるなとの大人の配慮も。子どもに見せられない世界。今一度見つめ直すきっかけとなるか。


 国全体を見下ろす宮殿。一声で街の明かりを好きにできる。彼らの権力を見せつける。そして革命。

 孫は言う、

 「明かりが消えて何も見えなかったから起きたんだ」

 と。当にこれだろう。独裁政権下で命令に従っていた者。革命後大統領を殺せと叫ぶ。


 一声で街の明かりを全て消した孫が逃亡の際に宮殿に戻ろうとする。しかし使用人たちが手を組み彼の行く手を阻む。孫は為す術が無い。これが権力者の象徴だったのだろう。権力者が権力を行使し、なぜ思うがままにできるのかと。民があってこそだろと。それを実行する・実行できる者がいるからだろと。自らの力だけではできることが限られる。さらには時としてそれが彼らの想うところとは別に作用する場合がある。

 この孫に関して、腕相撲にて大統領とマリアと使用人(教育係?)での認識の仕方の違いもおもしろかった。使用人には殿下として扱われ、大統領には孫として、マリアには・・・


 1つの権力の位置づけ。街中に貼られる大統領の写真。しかし検問を掻い潜って行く大統領と殿下。そもそも誰も彼らの顔をちゃんと見たことが無いのではなかろうかと。変装や彼らの策もあったではあろうが。マリアという娼婦が写真と彼とを見比べてやっと判断できるというシーンがある。これもそれの示唆だったのではないか。


 政治犯として5年投獄された男が愛する者の元へと帰った。この顛末がやるせない。愛する者のためだけにに拷問に耐えたんだ。

 彼は他人の手を借り、自分の足で家に辿りついた。そして自分の手で終わらせたんだ。彼の表情をひたすらに映し出す見せ方は、想像を促す為か。話全体に掛ってるわけか。



 国の状勢に関して、困窮している民と大統領が口論になる場面がある。国民をもっと思いやってれば革命は起きなかったと。お前ら国民が税金を納めないから悪いんだと。

 ここでお金の価値の違いを印象付けもしていた。豪勢な暮らしをする独裁者と、そのおかげで困窮する民との。

 「国」とは何から成るのか。「民」とは何なのだろうか・・・


 環になり、囚人たちと酒やたばこを回すシーンも印象的だった。

 
 
〇最後に
 「天は人の上に人を作らず」

 とは人が人の上に立つことで何かを見失うってことなのだろうか。

 「人の下に人を作らず」

 ってのも誰かしらの傘下に入ることで盲目になると。都合良く、調子良く。流されるままに。

 相互作用があるわけか。ある程度の秩序を保つために、統治するために現行の様々な体制が存在する。しかし腐敗は後を絶たない。どうすべきなのか。  

 ではでは・・・

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