2017年9月1日金曜日

となり町戦争(2006)

となり町戦争


~無知無関心~


〇はじめに
 戦争ボケと平和ボケなら平和ボケで良いじゃない。



〇こんな話
 戦争ってどこでやってるの? 本当にやってるの?




〇無知と無関心
 バンクーバーってどこっすか? カナダ語喋れないっす。

 別にバンクーバーなんて知らなくても生きていける。というより生きてきた。それにカナダ語なんて使う場所が無い。そもそもカナダ語なんて無い。




 お外でタバコ吸うの(歩きタバコ)ダメになったの!

 住んでる町の条例なんて逐一チェックしていない。例え何年住んでいようと関心の無い人間に関心を持たせるのは至難。だからといってそういったルールを後ろ盾に権力の濫用はいかんなとも想わせる。





 とある食堂で聴こえてくる野球中継。駅員とのキャッチボールにバッティングセンター通いに野球自体は好きなようだが、どこのチームを推しているのかお目当ての選手がいるのかは全くなく勝敗すらも興味が無い。ただテレビがついているから気になるけど別に内容はどうでもいい。




 それでも仕事の電話はすぐにとる。この無関心からの切り替え(ギャップ)は見事。



 とある教師は嘆く。近頃の若者は隣国韓国の南北問題も日本との確執も知らんと。しかしその教師は生徒の無知を嘆く一方、それを口実に韓国で遊ぶ算段を立てようとする。







 江口洋介はどのように巻き込まれていったのかというところ。手続きに関して彼はどのような思考を働かせたのか。拒否する手続きと、業務内容とを比べてどちらが面倒ではないのかとただそれだけを比べていなかったか。よくわからないけれどとりあえずそれで構わないと毎度毎度その場しのぎではなかったか。





 江口洋介が巻き込まれることになる、いや現代の日本人が置かれている立場から眺める戦争というものへの、無知と無関心の具合が絶妙に描かれていると思う。導入がコメディタッチで描かれながらも、辞令交付式を受けてから聴こえてくる声から段々と戦争がリアルに降りてくる・・・かと思えば決してそうでもなく、終始実感を伴わないまましかし確実に戦争は起きていると突きつける様は恐ろしいものを感じる。



 今もどこかで戦争が起きている。どこかで誰かが死んでいる。それは確かに現実であるが、私の現実ではないという無知と無関心。

 事故や事件なんてのが身近に感じる戦争という意識に繋がるものではないだろうか。なぜ毎年水難事故は起きてしまうのか、山で遭難する人は後を絶たないのか。自分は大丈夫だと、自分だけは大丈夫だと勝手に自信を抱いている。しかし実際に同じ世界で起きている、同じ世界の人が見舞われている巻き込まれている。


 昨今ではテロが対岸の火事ではないとする作品が作られるようになったが、今作もその系譜だろう。




〇原田知世
 無知無関心の極致なんだろうけどなんだろうね、



 不謹慎ながらも戦争というものが私の世界のリアルに降りてくるのは勘弁だが、



 原田知世さんとの結婚生活は降りてきてほしいな。



 家族というところを意識させる意図もあったのかな??



〇余談
 瑛太ってこれがあったから「64」の記者役やったのかな? 説明会における彼が当にそれだよね。




〇最後に
 政治的無関心というところよね。投票率が半分も行かないことが多々あるけど、それによってもたらされた結果は本当に総意と言えるの? 確かに投票しないということは1つの主張ではある。でもそれは選挙に行かないということと同義と言える? 単に責任逃れや言い訳ではないか? 

 近頃まぁいつの時代もなんだけど政治家(屋)さんの不祥事が話題になる。それを受け誰がやっても変わらないと権利を放棄する人が多くいるが、では責任はどこにあるのか。選んだ者か選ばれた者か。選ばれた者が責任を自覚するのはもちろんであるが、選ぶ者も責任を自覚しないといけない。

 憲法改正等で国民投票が行われるとして、投票率の下限を定めた方が良いんじゃないかな? その定めた投票率に達するまで何度も何度も行えばいいじゃない。・・・。


 ではでは・・・

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