2015年12月25日金曜日

わたしはマララ(2015)

字幕翻訳:栗原とみ子


~教育~


〇はじめに
 世間で大人とされている方々、そして特に教育に携わる方々に観てほしい作品。

〇こんな話
 活動家マララの半生。

〇マララ
 原題「He Named Me Malala」

 彼女の活動は、人生は、誰が為のものかと。

 ここの線引きが難しいところ。世界的な活動家でありながら、恋愛ネタに時折気恥かしさを見せる彼女が映し出される。普通の女の子と何ら変わらない。彼女という存在を通して見えてくるもの。彼女がどう見え、彼女のことをどう感じるのか。

 父親が意図的に彼女をマララと名付けたのだとか。話を追って行くごとに、どこか彼女に子どもであるからと主義・主張を代弁させているのではという感情を抱いてしまう。彼女に半ば強制的に教えを説いているのではないか。偏った思想を植え付けているのではないか。

 この構図が、実は批判している連中のやり方と変わらないのではないかとも思えてしまう。教育を、情報を制限し従順にさせる。反抗する力を、術を与えない。他の選択肢を与えない。

 下心が決して無かったとは言えないようだ。彼女が撃たれたことに自責の念を抱く父親の姿があった。

 しかし最後のマララ自身の言葉に尽きるのだろう。私が選んだ人生であると。彼らが否定する教育を受け、教育の力を訴えている彼女自身の言葉だからこそ。ここが違いなのだろう。




〇主張
 教育が世界を変える。

 この作品を観て日本の教育を想う自分がいた。教育が世界を変えるという可能性が秘められているだろうかと。どこか教育の本質を忘れてはいないだろうかと。

 自らの主義・主張を、唱えられる人間がどれだけいるだろうか。周りに流されず、保てる人間がどれだけいるのだろうか。そもそも持てる・抱ける人間がどれだけいるだろうか。



〇最後に
 彼女のスピーチを聴いて思う。なぜどこぞやの政治家の(日本語の)スピーチは心に響いてこないのだろうかと。文法なのか、発音なのか、単にカリスマ性の問題なのか・・・ 自分の言葉、自らが発する言葉では無いからなのだろうな・・・

 ではでは・・・




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