2015年12月2日水曜日

おみおくりの作法(2013)

おみおくりの作法[DVD]


~生と死、死と生~ 



〇はじめに 
 堪らない。この間、静けさ。そして何より、彼という存在をさりげなく我々の記憶に置いていってのラスト。 

 我々は、生きることを急ぎすぎてるのではなかろうか。急ぐあまり、見落としているものがあるのではなかろうか。 ま、誰も待ってはくれませんけどね・・・ いや、そんなことばかりでも・・・


〇想起する作品 
 「LIFE!」(2013) 
 「悼む人」(2015)


〇こんな話 
 様々な宗教・宗派での死者の弔いを、たった1人で見届ける民生係の主人公ジョン・メイ。そのたった1人を弔うのに、調査を終えるまでに2カ月をも要する。遺灰?の保管庫はいっぱいだと急かされ、終には解雇通告。そんな、孤独死した者たちを送る彼の、最後のお仕事。 


〇人間 
 マイペースな彼と忙しない社会の対比がはじめに描かれる。道路では信号を守り、右を左をまた右を確認する。椅子につくにも食事をするにも彼なりの作法が存在し、身なりや仕草もそれを深めている(料理はできない)。良く言えば実直、真面目、丁寧。しかし周りはそうは見ない。悪く言えばトロいんだ。1つ1つ確実に仕事をこなしていくことが優柔不断に、徹底的に調査しそれぞれの人の想いを紡ぎ積んでいく様がまどろっこしく感じる。 

 効率化、便利化が進む、叫ばれる社会(合理化か)。悪く言えばテキトウ、いい加減が罷り通る社会。怠慢を自己正当化する者たちの考えも一概には否定できない。彼らもまた加速する社会で必死に生きようとしているのだから。そんな関わりの中でも人を覚えていることもある。形式ばっていない分逆に人との関わりが深い部分があるのかもしれない。しかしそんな裏で、人間というつながりが希薄になってきているのもまた事実。それはどこの国も同じなのか。 

 彼の行いは仕事であり給与が発生するわけだが、上司や新任が考えるにそれはこなした仕事の量への見返りである。しかし彼はただ量をこなすことよりも、それぞれの死に、そして生に、紳士に向き合って行こうとする。 

 彼は別に見返りを求めやっているわけではなく、ただ善意でやっている。しかし今までの彼の仕事の様からは、見られ方によっては価値観を押し付けていると思われても仕方なかったりもする。所詮仕事として見ていたのだ。彼なりの、ではあるが。仕事であるからとそれぞれに分け隔てなく同じように徹底した仕様を求めた。それぞれの宗教による葬儀を行おうとすることが、仕事という形式を意識するひとつの示唆であったのかもしれない。そんな彼のプライベートでの人との関わりは皆無。業務通達も一方通行。とあるひととき、些細な褒め言葉に戸惑う様子も。それほどまでに彼も人との関わりが希薄であった。生きた人間との関わりだ。  

 それを助長する事件が起きる。向かいに住む人間の死だ。同じマンションに住んでいながら、孤独死する人間を扱っていながら、何も気付かなかったのである。


 この最後の仕事に取り掛かってから彼は少しずつ変化していく。今までは死した現場に赴き調査はするものの、遺族・関係者とはほとんど電話のみの応対であった。それが直接人々に関わっていくようになる。紅茶が店員のオススメでココアになったり、時計を逐一確認する彼が、多少の時間にルーズに。そして仕事をズル休みするまでに(調査の一環なわけだが)。言われるがままだった彼が、最後の案件のために、駆け出し上司に直談判。そんな上司の車に小便をひっかけたりも。落としていった積荷のアイスクリームをぺロリ。さらには情報料として酒を提供し、酌み交わす。調査のために手段を選ばなくなっていたりもする。しかしそれこそがまた人との繋がりを、関わりを深くする要素であるわけだ。 


 今まで見えてこなかったものが見えてくる。彼もまたはじめて見ようとしたのかもしれない。亡くなった者がどんな人物だったのかと見聞きし、食べ・味わい、体験しようとする。ミートパイの件からの上司の車、ここは特に好きだ。仕事における目的は以前と同じものの、彼という人間の変化が見えてくる。死者から生者へのアプローチだったのが、逆にもはたらいていることに気付く。そして、最終的に彼は見送った者たちと同じところに辿りつくこととなる。 


 今までのたった一人の参列が、参列との対比が、最後やるせないんだ。彼が繋いだ、紡いだ想いが報われる。自分が眠るはずだった一等地も譲っている。しかしそんな彼の死には、埋葬には誰も伴わない。人知れず土の下に眠る。 


 葬儀は誰のためのものか?



 最後集って来た者たちはいったい何者だったのか・・・? 

 生者だったのか・・・、死者だったのか・・・・ 

 後者だろう・・・ 

 彼の仕事ぶり、いや想いを一番に受けていたのはいったい誰だったのだろうかと。 

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 彼は独りで死んでいった者たちを仕事の資料とは別に、彼自身のアルバムとして残していた。時折眺めるのである。それが最後映し出される。そしてピンクの服を着たおばあさん。これが一番わかりやすいだろう。
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 いや、彼の生き様をこの作品で辿った我々とすると、明るくなるのかな。 

 そしていずれ彼女も訪れてくれるかもしれないと思うと。


・補足

 彼の仕事は死者を起点とした生者へのアプローチだった。これは先ほど書いたのだが、これが最後彼の葬儀に生者が誰も参列しない皮肉になっていたりする。しかしそれでもどこかで報われているという感動へとも誘っている。普段見えてこない部分を敢えてピックアップする。これが何とも救われるんだ。

 すばらしい作品だった。ほんっと~に素晴らしかった。



〇最後に
 人は独りで死んでいく。人は死ぬ時、何を想うのだろうな。

 ではでは・・・

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