~ミステイク~
〇はじめに
これスノーデン事件の前に作られたのか・・・
こういう世界規模だったり各所だったりの状勢の目利きってのは誰がやってんのよ・・・ すげぇな、純粋に。
〇こんな話
伝説の男と逃避行。
〇落ち度
トビン・フロストというターゲットを抹殺するためにどのように彼にアプローチするのか。彼というターゲット「だけ」を狙うのか、彼の関係者「もろとも」皆殺しにするのか。
「俺を狙うならもっと頭を使え」とトビン・フロストが悪態をつく。これは彼の強がりであるわけだが、一番には無関係の人間を巻き込むなという、彼の数少ない友人を死に至らしめた事に対する怒り(後悔)がある。
ここで頭が行ったのは、最初のトビン・フロストの逃走シーン。彼は一般人?に金を渡し囮として使うわけだが、その囮となった者は狙撃され死亡する。この時点では彼の用心深さや容赦の無さといったところが示されているのだろうと思われたわけだが、この場面はそれよりも堅苦しくは情報の不確さによる「落ち度」というところを追求したかったように思えてくるのである。
狙撃手がトビン・フロストというターゲットを100%確実に仕留めることをすれば、一般人が巻き込まれることはなかった。確かに一般人を巻き込んだのはトビン・フロストかもしれないが、一般人が殺されるというあのケースにおける最悪の結果を招いた、引鉄を引いたのは狙撃手である。つまりここで目を付けるべきは入店時にレストランの客を把握していたことで囮を使ったトビン・フロストの先読み能力ではなく、それに気付けなかった後手に甘んじるしかなかった狙撃手の至らなさという部分なのである。
新人捜査官はセーフハウス(セイフとすべきなのかな?)というところで職務に就いているわけだが、滅多なことでは何も起きない。お客が来ない。毎日毎日同じ決まった作業を繰り返すのみ。それ故に新人の配属待機所的な意味合いのある場所なのだろうか? まぁそれは置いといて、彼は黙々とトレーニングに励んでいるのである。ではそのトレーニングとは何のために行っているのか。滅多なことで何も起きない場所でいったい彼は何を想定し何に備えているのか。この盲目さが作品全体を覆っている。この盲目さこそがテーマだったのではないか。
事前に把握しておくべき情報は描かれている(捉えている)がその場では繋がらず後になって紐解かれていくという描写が何度もある。こういった見え方の変化というところが新人捜査官を中軸に描かれていくことになる。
そんな若造がひょんなことから伝説の男トビン・フロストと行動を共にすることになる。ひたすらにセーフハウスに籠っている男と、国際指名手配をされながらも一線を掻い潜ってきた者とで実力差は明白で。しかしそんな関係を意識させられながらも食い下がる、必死に食らいついていく若造を観せられていくことになる。
それを踏まえ先ほどの悪態をつくに至る戦闘。新人ながらも情報分析には定評があるようで?、フロストの居場所は彼だからこそ突き止めたかのように当初は描かれている。しかしすぐにわかったとの新人の言葉、そしてフロストの悪態によってふと気付く。実は新人でもわかってしまうという皮肉な場面でもあることに。新人の優れた能力故ではなく、トビン・フロストに落ち度があったことに。
誰かしらが一歩先一手先を行くということは、誰かしらがミスを犯しているからと捉えることができる。つまり一手先を行っているわけではなく、そもそも相手が打つべき一手を打っていないと。先読みではなく後手に、いや後手後手に勝手に周っているのだと。
これには不用意な一手を打つという逆も存在していて。先手を打つ、というより何かしら手を打つ、策を講じなければならない場面は必然的に出てくるわけで。それが結果として功を奏すか、逆に悪手となってしまうのかという違いがあり、前者であれば一手先ということになり、後者であれば後手(一手後)に回るということになる。
なぜそうなってしまうのかは事がそう単純に見えてこないことに起因する。盲目さというところである。
単純ではないと言いつつボードゲームで勝手に例えると、チェスや将棋なんかは決まった駒を動かすことで勝負を展開するわけであるが、どういったゲームを展開するかの展望はあれど、初手を打つまではどれを動かすも自由である。初手が打たれて初めて選択肢に制限がかけられていく。
囲碁の方が良いか。盤上に何も無い状態に碁石を置いていく。盤面をどう使おうかとする読みや展開は、局面が動いていくほど狭まっていく。
で、何が言いたいのかというと、選択肢を狭めていくことが勝敗はどうあれ決着を見ることに繋がるわけだが、その選択の幅が広がるのはどういった展開のときであろうかと。
先ほどはミスとして括ってしまったのだが、ではそのミスとはどのように犯してしまうのか。相手の展開に応じて最善の一手を選択していくという事を互いにするわけだが、常に最善の一手を模索するのか、最終的なところで活きてくるだろう最善を模索するのか。つまりは読みといところなのだが、互いにどこまでを読んでいるのか、読めているのか。
勝負とはこの読みの幅の噛み合わせなわけである。それにより場当たり的な対処になるのか、先手を打てる状況なのか、後手に回るしかないのかといった違いが生まれてくるわけで。
そしてゲームは終盤になると辿るべき道が定まっていく。囲碁ではそれをヨセというが、これが繊細な作業なようで・・・。まぁこれはいいや「ヒカルの碁」の知識だし。
新人とベテランという対比は否が応にでも目につく。規則を遵守し正義を全うしようとする新人に対し、作戦の確実性を上げるためには平気で違法行為に及ぶベテランたち。戦い方を熟知している者とそれにイチイチ戸惑う者。他にデスクと現場、現職CIAと伝説の逃亡犯・・・
これがラストの主人公の行動に繋がってくる。自らの正義を貫くために正義を貫けなかった、組織を国を裏切り敵に回ることを選択せざるをえなかったフロストに対する。
何が正しい選択なのか・・・、何が正義なのか・・・
〇最後に
それぞれに抱えている事情が混ざり合ってぐっちゃぐっちゃなんやろなぁ~。
ではでは・・・
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