2017年2月21日火曜日

サランドラ(1977)

サランドラ


~時代の流行り~


〇はじめに
 これって当時を知っていると何か掴めるもんがあるの?





〇こんな話
 ある家族が砂漠で立ち往生。



〇時代の流行り
 都会人(ってわけでもないのか?ただの一般人?)とされる人間たちが砂漠で襲われる様をひたすらに観せられるわけだが・・・

 彼らの小奇麗なファッション(召しているモノ)だったり、車やトレーラーってところで彼らという人間を評価できるものなのか? 最初のスタンドの場面で小汚く感じる人間たちとの文明の対比になっているのか? 一緒に逃げたいからと身なりを整えた女性が描かれていたなそういえば。



 そういったビジュアルにおいてまずよくわからなかった。この辺りは時代の流行を捉えておくべきというか、今生きている時代の流行りものを観ていかなければならないんだなと感じる。


 車という移動手段に始まり、火や懐中電灯、トレーラーの電気に暗がりを照らし出す術(道具)を有している。対抗手段は腕っぷしではなく銃を構える。そういった文明の利器を後ろ盾とする都会人。燃料が抜かれていたり、長期保存できる冷蔵庫から食料が抜かれる様を観せているのはこれ関連か。でも相手も無線使ってるし爆薬使ってるんだよな・・・

 いやペットとして飼っている鳥を食料と捉えたような価値観というか捉え方の違いを見つめるべきなのか。ベビー(赤ちゃん)はうまいとも言っていた。我々がさも当然だと思っていることが通用しない。そして当たり前に使用している道具の数々。本来必要の無かったものまで開拓し、利便性を追求した人間という代物。その代償として彼らのような存在が生まれたのだと。

 文明の利VS地の利の戦いなわけだが、括りで言えば同じ家族VS家族というお話なんだよね。襲い始めたのは彼らにしろ。いや先に縄張りに侵入したのは都会人たちの方ともとれる。もう生存競争とでも言ってしまおうか。

 そんな争いを観ていると、人類全体に利があるように作られた道具は実は使用する人間に利があるだけなのだと映る。1つに家族という括りにおける。用法容量を間違えたことで、道を外れたことで、都会人たちは最終的に何をしたのか、してしまったのか。せざるをえなかったのか。果たしてそこまでする必要があったのか・・・




 この利害関係が究極核実験というところに繋がるのかどうなのか・・・




〇最後に
 なんかいろいろとピンと来ない。とりあえず2観よっと。

 ではでは・・・



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