2015年7月3日金曜日

レフト・ビハインド(2014)

字幕翻訳:北村広子


~観点~  

〇はじめに 
 見方、見え方が違うのである。見ているもの、見えているもの、見ようとしているものが違うのである。 

〇想起する作品 
 「リセット」(2010)
 「ザ・エンド」(2012)
 「エンド・オブ・ザ・アース」(2013)
 「フラッシュフォワード」(2009~2010)

〇こんな話 
 飛行機の中で人が消えます。

〇理解と信仰 
 今回の事象。真の信仰者の消失。ここから神こそ差別の根源であるという偏見を持ってしまう。 

 とあるジャーナリストがはじめに話してくれる津波の話。母親と4人の子どもが津波に巻き込まれ、3人の子どもが死に、母と赤子の2人が助かったと。その際母親は3人の死を嘆くよりも、救われた自らと赤子の命に感謝し、神に祈りを捧げたという。
 生を喜ぶのか、死を悲しむのかという天秤。この事象の判断は様々な背景や要因を考慮しなければならないのだが、ここでは信仰という基準がそれを生を喜ぶという方向へと傾ける。

 今回の現象もそれに当てはめて考えることで、違った見え方がしてくる。
 
 そもそもなぜパニックものには宗教が必要不可欠なのか。飛行機に取り残された乗客たちの反応から考えてみよう。彼らは人が消えるという現象に不安や恐怖を抱いていた。それはなぜだったのか。説明がつかなかったからである、理解できなかったからである。一般人はとある事象や現象に理由を求めようとする傾向にある。なぜそのようなことが起きるのかという根拠が欲しいのである。全ては安心したいがためだ。過去を受け止め、安心することで次に進むのである。しかし、信仰者はというと思考が逆にはたらくのである。原因の追求ではなく、これには意味があるとし結果を即座に受け止める。勝手に意味を見出すのである。
 結果に対するアプローチが一般人と信仰者で異なる。結果から原因や理由を見出し理解へと進もうとする者。結果に神を見出し勝手な意味をもたらす者。要は結果から過去にアプローチするか、未来へとアプローチするかの違いとなる。
 一般人の様子をもう一度想い返す。理解できない事象に晒される。受け止めきれない惨状を目の当たりにする。そんな彼らはどのような選択を迫られていくのか。そこで宗教が力を発揮してくる。とある段階の思考の解消。何もできない、助けてくれないそこに存在している人間か、何かしてくれるかもしれない、助けてくれるかもしれない不確かな神という存在か。どちらを信じるのか。この対立が人間ドラマ要素をおもしろくする。
 
 
 この対立を踏まえ、信仰者の消失で世界がどうなったのかを目の当たりにすると、生存者も救われているという見方ができるわけである。信仰者の消失とすると後で語弊が生まれるので、ただの人間としておこう。
 世界は機能しなくなった。保っていた秩序が崩壊した。これはどういうことか。1つの完結していた世界からのとある人間たちの消失。これは集団における個人の存在を確かめさせることにつながるのである。世界、社会から誰かが欠けることで今まで成立していた関係がうやむやになる。人独りの力は独りの時では見えないかもしれない。しかし集団で消失してみると、見えてくるものがある。まずはいなくなった人間を思うことだろう。しかしそれ以上に今いる人間たちの大切さを喜ぶことになる。津波の被害にあった母親のようにだ。周りの人間に対する想いを改めて確認することになるのだ。家族を蔑ろにし、浮気に奔っていた父親と、反宗教娘。信仰者である母親の消失で互いに関して見つめ直すこととなった。
 少し皮肉を言えば、結局神はいたんだってなるんすよね。つまり神は自らの存在を認めてもらうために、人間に対して、時に不可解な事をする。一番孤独なのは神なのか。
・・・あれ、この話どっかでしたな。
 
 最初に神に対する議論があるのだが、何とも唐突に感じてしまった。娘の執拗なまでの反宗教観。唐突過ぎて物語故の必然性が感じられない。無理くりな感じがしてしまう。後々母親が宗教にハマってしまったという理由が明かされるわけであるが。
 しかしエンディングで「心の準備が~」みたいに歌い出すことから、全ては突然に起こるってことなのだろう。今あるものを大切にしなさいと。    

〇最後に
 途中うとうとしてしまったのは内緒のお話。

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