2015年7月28日火曜日

ベルファスト71(2014)

字幕翻訳:寺尾次郎


~複雑化~ 

〇はじめに 
 試写会にて鑑賞。 

 さっぱりだ。対立関係がまるでわからない。イギリスとアイルランドの対立。そこにプロテスタント系住民とカトリック系住民。英軍と工作員、IRA。いったいどうなっているんだ。 
「英軍とプロテスタント系住民」 VS 「カトリック系住民とIRA」
と思ってみたら英軍とプロテスタント系住民の間にもいざこざがあったり・・・ 

 ボイルって奴と、大尉が似てるのも原因なんだよ。劇場の所為かスクリーンが観難く終始薄暗い。顔がよく見えなかったんだ・・・  でもこれも意図的なのかな・・・

〇こんな話
 北アイルランド問題に関して。

〇複雑化  
 さっぱりな理解を開き直って、改めてこの作品を見つめてみる。 
 
 この作品を鑑賞して感じたのは、この直面している問題の糸口がまるで見えてこないことだ。いったいどこに解決策を見出したら良いのか。そもそも解決策などあるのか。なぜここまでに複雑化してしまったのか。

 敵地ではあれ、彼を助けてくれる人間は存在していた。しかしその規模が大きくなれば、そんな存在は呑まれてしまう。まずとある女性に暴行を受けているところを止めてもらうものの、1人は間を縫って射殺される。そして子どもはいっちょまえに大人ぶってはいるが、子どもの話など大人は話半分だ。簡単にあしらえる。そして傷の手当てまでしてくれるものの、逆らえないと恐る恐るの行動であった父娘。そして敵視していた少年に助けられるという兆しや希望は味方とされる者たちによって殺されてしまう。

 
 子どもが軍や対立する勢力を罵っている。ここに1つの原因が見える。おそらく彼らはそのように教え込まれている。悪とする者が何かを刷り込まれている。その対立が起こるに至った歴史的事実が省略されて。原因や理由など無く、ただ忌み嫌うべき対象であるという事実のみが取り残される。それがひたすらに世代を越えて繰り返されてきたのだろう。おそらく対立の起源なんてほとんどの人間が理解していない。あいつらは敵だから、という単純な思考。

---その示唆が、主人公が地元の町だか村が、他の町と仲が悪い。というようなことを語るシーンだ。なぜ?という問いに、よくわからない、と。歴史的な対立が出来上がってしまっている状況に生まれた者たち。その事実をどのように受け入れていくのか。ダービーという町の名前だった。これはダービー(マッチ)と言う因縁の対決に用いられる語源を意識させたかったのだろうか。---

 単純ならば解決は容易だと思われるかもしれないが、逆に単純だからこそ強い恨みにつながってしまう。解決すべきところ、アプローチするところが抜け落ちているからだ。論点が存在しない。故に歩み寄るための道、共通項が見出せない。これが問題が複雑化している経緯だろう。


 中尉がよく突然割り込んできておいて、去り際に「続けろ」と一言。これも問題の示唆だったのか。中尉は何をしているのかもよくわからず言葉を掛けている。

 そして最後の軍の隠蔽工作。緊迫した状況下で敵味方の区別を的確に判断できない。把握できない。それを利用し軍の都合の良いように真実を書き換え、事実をうやむやにする。深淵へ・・・
 

 あと弟とだけサッカーしてたりもするんですよね。


〇最後に
 「わからない」で思考停止してはダメなんだろうな。日本でもお隣の国々とまぁ対立しているわけで。文化、お国柄があれな国だというレッテルを全ての国民に当てはめてしまう。限られた情報であの国の人間は〇〇だと括ってしまう。まぁあちらさんの方がそれが強いわけだが。歴史を知りもしない、いや改竄された歴史を正史だともしている(これは私の偏見か)。
 911のときもそうだったのではなかろうか。その国の人間を見るとあれはテロリストかもしれないと疑ってかかったのではなかろうか。震災における風評被害も記憶に新しいか。悪いイメージとだけ結びつける、結びついてしまう。よくあることだ。故に闇が深い。そんな状況に、世界に、人間に、どう向き合っていけばいいのだろうか・・・・・・ 


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