2018年6月7日木曜日

スケア・キャンペーン(2016)

スケア・キャンペーン


~二転三転四転~


〇はじめに
 「世界まる見え!」なんかで目にする海外のドッキリは何とも過激というかそこまでするかのオンパレードで、そりゃ疑心暗鬼にもなるよねと思う。





〇想起する作品
 「スクリーム」(1996)
 「イグジステンズ」(1999)
 「ルール2」(2000)
 「ザ・フェイク」(2004)
 「マインドハンター」(2004)
 「サプライズ」(2011)
 「CABIN」(2012)
 「ロスト・ボディ」(2012)
 「KRISTY」(2014)

 「午前2時のチャイム」




〇こんな話
 暇を持て余した…神々の…遊び・・・







〇秘技!ドッキリ返し返し返し~
 事態が二転三転することでの免疫(耐性)よね問題は。どこまでがドッキリ?という疑りに勘繰り、境界線が見えなくなってくる。はいはいこれもドッキリなんでしょ? このこの~( * ̄▽ ̄)σ わかってるって… え?…


 ラスト車の中でカメラの存在に気付くエマがいる。我々鑑賞者の目線ではエマに仕掛けられた1つめのドッキリの仕掛け人視点があったこと、そしてその仕掛け人であったマーカスの視点により2つめのドッキリが補完されたことで、このカメラを確証にエマの隣に座る女アビーが仕掛け人であると見破ることができるが、エマはというとそう簡単にはいかない。

 なぜなら彼女は一度ドッキリ返しを仕掛けられているからである。自らが仕掛け人というその場の支配者だったはずが、実は仕掛けられる側だった支配される側だったする逆転。自分こそが現実と虚構の明確な境界線だったはずが、実は境界線の内側(いや外側?)に存在していたことが明らかになる

 ドッキリに対する免疫が形成されるとでも言おうか…故に線引きが一気に曖昧なものとなり、どこまでがリアルでどこまでドッキリなのかという判断が利かなくなるのである。



 そういえば最初の警備員という役職もその場の治安を守るという意味で防波堤(境界線)であるし、役者というのも演じること即ち自らを偽るという行為で本当の自分と偽りの自分という境界線の駆け引きが常に存在している。こういったところから仕込んでるのね。素晴らしい。





 ドッキリ返しとは別に…いや細かく見た場合とした方が良いのだろうか・・・

 エマが騙された経緯…男を殺人鬼だ(クルーが殺された)実感した確たる根拠の1つに、自らの手応えというものがあった。



 ペーパーナイフによる殺害方法が披露される際、彼女は事前に危険を察知しているが、このペーパーナイフはというと事前にエマが使用していたものである。つまりこの殺害に至る場面で彼女にはこのペーパーナイフというものが武器になり得る、人を傷つけ得るそして殺し得るという手応えというものがあったことになる。

 作品の導入におけるドッキリでは銃がこのペーパーナイフと同じ役割を担っていたわけだが、こちらは銃という代物がどういうものなのかというイメージが自分の中にあった、といったところだろうか。


 この実感や手応えという繋がりで、エマにとって現実と虚構の線引きをさらに曖昧化させるのは、自らが人を傷つけたという感触(事実)だろう。彼女は確かに自らの手でとある男の手を串刺しにし、またとある男のはらわたを抉り出した。

 傷つけた2人が異なるドッキリの仕掛け人であった、ドッキリを跨いでいるというのも狙っているのだろう。1人目の方はまだ冗談で済ませられたかもしれない。しかし2人目は…?

 傷つけてしまった、最悪殺してしまったという罪悪感に苛まれつつ、彼女はドッキリであってほしいとすら願い始めているのではなかろうか。撮影クルーの死が一度覆されたのだ。これもまた全て仕込みで彼氏もまた生きている可能性に縋ろうと…。


 どの出来事にどれほどの重きを置いてどんな真実を形成するのか。ラストの彼女には、今までの常識と、それを覆す目の当たりにした真実と、いやこうあって欲しいとする真実が混在していたことになる。

 昨今、印象操作やフェイクニュースといったものが話題に上がるが、この彼女の状況というのは情報化社会においてあらゆる情報に晒されている我々そのものに見える。ネットの普及で情報を多角的に得られる様になったと錯覚しがちだが、本当にそこに偏りは無いと言えるか? 真実を見る目を曇らせていないか…何かしらフィルターが掛かっていないか…

 スケア・キャンペーンという番組自体そうであるし、マスクフリークスなる集団もまた、視聴者が求めているからと過激化した様子。彼らの作品がいくらリアルをウリにしていようと、視聴者の望むカタチでの真実を映し出していたに過ぎない。


 ドッキリはもちろん、警備員や役者という線引きだけでなく、そもそも映画という媒体自体が、いやこの作品自体が現実と虚構の狭間だということに繋がるのか。

 なぜこの「スケア・キャンペーン」という作品を観ようと思ったのか。それはあなたが観たいと思ったからでしょ?…と。この時点で勝手に情報を選別し、自分の望むべく真実にしか目を向けようとしていない私という鑑賞者が際立つ。これが一番の皮肉になってるのかな・・・





〇最後に
 どこかでも書いたかもしれんけど、ドッキリの企画ってのはどうやって始まったの?


 ではでは・・・


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