2015年2月22日日曜日

戦火の勇気(1996)

戦火の勇気[DVD]


~罪とゆるし~ 

〇こんな話 
 ある戦闘中に味方の戦車を誤射してしまった主人公。罪悪感を抱えながら、とある名誉勲章候補を調査することになる。調査を進める中、生存者たちの証言を聞いていると、違和感に気付く。・・・そこから調査をさらに深め、隠された真実を明らかにするとともに、自らの贖罪にも至るお話。

〇責任 
 戦争という世界。敵と味方という二元論で判断する一見単純と思われる世界。しかし敵か味方かを区別するには何かしらによる認識が必要なのである。いったい敵と味方という判断はどこでつけるのか。一瞬の迷いが死につながる余談を許さない状況。誰かしらが、何かしらの決断をしなければならなかった。
 敵と味方が混在している状況で、敵は降伏をしていたのだが、それを確認しているのは主人公近辺の者たちだけであった。地雷原に突入するからと進路を代え、予定とは異なる行動をとっている者たちがいた。それを敵と誤認し、撃ってしまうのである。そして主人公は誤射してしまった真実を犠牲者の両親に伝えられずにいた。
・・・というような背景が主人公にはあった。そういった過去を抱えているからこそ、隠ぺいされた事実を明らかにすることに重きを置いた。軍の調査としては仕方の無かったことと責任は免れてはいるが、個人としてはスッキリしない。誤射・事故とはいえ決断を下したのは自分であり、罪の意識は消えない。そんな罪悪感を彼はどのように乗り越えたのか。

〇罪とゆるし 
 録音テープにより誤射後に起きた真実が明らかになる。味方機にライトを付けさせ、敵と味方を区別し戦況を乗り切る。親友を誤って殺してしまったという心境の中、的確に物事を判断し、多くの仲間の命を救った。戦争という状況では何が正しい、何が間違っているというのはないのでないか。確かに非人道的な行動は許すべき事象ではない。しかし、仲間を助けるためという考えの下行われたものであれば、それは罪としてとがめるべきではないのかもしれない。もっとこうすることができた、というのは事後であればの戯言で偽善だ。当時はたったひとつの選択しかできなっかたわけで。 
 最後、
「罪は背負わなければならないが、心の重荷はいつか下ろさねば」
と被害者の父親が吐く言葉で主人公は救われる。ここからある考えに至る。赦すという行為は、犯した「罪」を赦すのではなく、その罪を犯した「人」を赦すことではないだろうかと。故に罪は消えない。罪を犯した者は一生罪を背負っていかねばならない。罪を自覚し、背負ったその後の人生こそが、被害者への、そして自身への償いとなる、のだろう。  

〇最後に 
 名誉勲章というきれいごと。戦争美化ともとれるような情報操作と印象付け。この作品ではそれを真実を公表するという行為で解消しようとしている。戦場では実際に何が起きているのか。讃えられるような行いが果たして存在するのかと。そんなことに思いをめぐらせてみる・・・。


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