2014年9月5日金曜日

トランセンデンス(2014)

トランセンデンス[DVD]

~人間VSコンピュータ~ 

〇はじめに 
 SF的世界観に浸る作品ではなく、映画に込められているであろうテーマを模索し、哲学していくことを楽しむ作品。 

〇想起する作品 
 「バーチュオ・シティ」 (1995)
 「ターミネーター」 (1984)

〇こんな話 
人間(の意識)をコンピュータにアップロードすることができたら、 我々人間はどんな進化を辿ることになるのだろうか。そしてアップロードしたものは、人間の意識を有したコンピュータなのか、コンピュータの能力を有した人間なのか。はてさて・・・。 

 コンピュータの進化における、コンピュータ>人間という構図になる危険性というのを丁寧に描いた作品。 


〇構図 
・人間VSコンピュータという構図
 「ターミネーター」のような人間VSコンピュータ(スカイネット)という構図が、もうすでに出来上がっている世界観はあった。コンピュータに人間が支配されているという設定の「マトリックス」はアクションに囚われ、真に理解されなかった。現代のコンピュータの普及に伴うネット社会による匿名生だったり、現実との混同だったりで危険性を説いていた映画もたくさんあった。これは現在と未来を描いた映画たちの狭間・つながり(人間はいかにコンピュータに支配されるに至るのか)を描いた作品である。 
 人間が支配されていく過程が「ボディ・スナッチャー」「インベージョン」といった、人間に対する内部的な侵略という風にとれる。しかしその侵略という絵図を、コンピュータVS人間という構図と関連付けて連想した時に、おそらく多くの人が暴力と言った単純な力、詰まる所物理的なはっきりとした対立を求めてしまうのではなかろうか。例を挙げると、地球に宇宙船という絶対的力を有し襲来した地球外生命体(侵略者)に対し、それを迎え撃つ地球人という構図。戦場という敵(侵略者)か味方(地球人)かという二元論でのはっきりとした対比。侵略者を悪と見なし、正義である地球人視点で、いかに悪を倒すのかというドンパチや、そこで表面化する友情や愛情を楽しむ。この映画はコンピュータVS人間という構図に対して、単純にどちらが正義か悪かという判断ができない。人間の意識を有したコンピュータなのか、コンピュータの能力を有した人間なのか。そこが人間とコンピュータの確執を描く上で、非常におもしろいテーマではあるのだが、そこが逆につまらなく感じてしまう要因でもある。そんな点をこのフィルムでしか映し出せないといったような映像美で観客の心を掴もうとしているのだろうが、それも何か物足りない。何かを意図した映像であったのかもしれないが、私には理解できなかった。 

〇参考までに 
 コンピュータという言葉を聞いた時、あなたは何を連想するだろうか。ほとんどの人がノートパソコン、デスクトップパソコンなどのパーソナルコンピュータを想像するのではなかろうか。今や家庭に一台以上。ネットなり何なり便利になりましたなぁ、とその程度の認識ではなかろうか。そんなものが我々人類をどのように侵略していくのか、どのように脅かすのかと。ピンと来ない人がいるのは事実。 では電子機器・電気製品と言えばどうだろうか。先ほどより多くの物が想像できはしないだろうか。ネットというもの以外に、生活には欠かせなくなっている存在。携帯、TV、クーラー、冷蔵庫、洗濯機・・・、何でもある。人間社会に欠かせなくなっているものばかりを思い浮かべないだろうか。 さらには機械と聞いたらどうだろうか。自家用車、公共交通機関・・・、もうすでにそれらありきで生活している。無いことは考えられない。たった一つ欠けただけで、何かしらうまくいかなくなることすらある。 

 この映画は先ほどの構図の問題もあるのだが、上記のようにコンピュータといったものに対する意識の違いから面白さは分かれる・・・と思う。身近に感じているであろうことを挙げれば、PC、携帯が普及し、今やいつでもどこでも誰とでもその媒介を通して繋がれる。ただその機械を使いこなすことができるだけでだ。どういったシステムで可能となるのかという理解などいらない。つまり、自分の理解を超えるものですら我々は使用できてしまっている。他には、電源を押せば機動する。冷たいものはレンジでチン。食材の保存には冷蔵庫。コンセントに差し込めば流れてくるのは電気であるのに、なぜそれが音、映像、熱などに変換されるのか??? わからないことばかりではないだろうか。利便性を追求するあまり、その技術に孕むある程度の危険性は軽視・無視するという現状に慣らされたあなたは、普段から危機意識を持っているだろうか。何かしらの事象に関し、想定しうる限りの事態を導き出すことができるだろうか。将来を予見できているだろうか。まぁ私は全くできていないが・・・。 

 まとめると、「コンピュータが人間を支配するという将来的な危険性」というテーマで考えた時に、いや待て、危険性という言葉はマイナスなイメージが強くなる。プラスな面もあるわけだから「コンピュータが人間を支配するという将来的な見通し」とでもしとこうか。というテーマを基に考えた時、この映画を観てどれだけの事を関連付けて、この映画の言わんとしている見通しを持てるのかというのが問題。おそらく鑑賞中、鑑賞後とすでに有していた個人の思考・判断・情報量等と、映画により得られたそれらを通して、この映画に対する理解には大きな差が出てきてしまうだろう。わからない人にはいつまでたってもわからないだろうし、理解するだろう人はすぐにでも理解する。この映画はそこに賛否が依存すると考えられる。そんな作品は今までにもいくらでもあったろう。ここで終わってしまうのであれば、私が言おうとしていることはただの皮肉ととられてしまうのだろうが、決してそういうことではなく、こういったテーマを扱ったときに確実に生まれるだろう格差を是正していく必要があることを言いたい。この作品は超越、特異点を扱った。コンピュータが人間を超え、その先に起こるであろう進化について。そのテーマに関して存在する現在の格差を露呈させ、問題として取り上げさせる時点で、この映画としては成功しているのではなかろうか。わからないで終わらせない、疑問点・矛盾点を挙げひたすらに哲学させると。 

〇不意をつかれたところ(参考までに②) 
 「これは君の字か」という問いに、「学生の頃書いたきりだから」と返答するシーン。それほどまでに電子機器に頼って生活しているといった暗示。 

 キーボードをドア止めに使うシーン。現在の常識が無くなれば、いかに高性能といえど、本来の使い道以外にはこんな使い方しかない。 

 ドリームキャッチャーの存在。これがまた、人間の意識を有したコンピュータなのか、コンピュータの能力を有した人間なのか、ってなところに関わってくる・・・多分。 

〇余談 
 「イグジステンズ」(1999年)という映画にこのTRANSCENDENCEという単語が使われていた。その時の字幕はトランスセンデンスとしていた。スペルの中にはSが存在し、発音的にも「ス」というはっきりとした発音ではないものの聞こえてくる音がある。今回はトランセンデンスである。ただそれだけ。 

〇最後に 
 映画としてウケるか、ウケないかと問われたら、私はウケないだろうと答える。ドキュメンタリーでよかったのでは、と思ってしまったことは否定できない。しかし議論するテーマとしては非常におもしろい(矛盾や無理な演出などもたくさんあるようですし・・・)。構図やら意識やら多くのことを書いてきたが、この映画を楽しむ上でそれらがネックとなるであろうことを理解されたい。

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