~道~
〇はじめに
季節や経年を感じるためにももうちょっといろんな道具を観たかったな。まぁ私にお茶の心得なんて全く無いんだけど。
〇想起する作品
「15時17分、パリ行き」(2018)
〇こんな話
日日是好日…
〇“道”というところの奥行きが感じられないのよね…
終始お茶ばかりにフォーカスが絞られているのが辛い。いや原作の主軸もそうなのだが、目の前のお茶に集中する、外界と隔絶されるといった意味合いのものではなく、お茶を通じて広がる世界というのが目の前のお茶ばかりに気をとられていては見えてきづらい。
2人が門を叩くにあたり、初心者ながらに一所懸命に目の前のお茶に向き合うという件は問題無い。しかし年月を経て“習うより慣れろ”と段々と身体に手にお茶というものが染みついてから出てくるちょっとした余裕が出てきて今までに気付かなかったものに対する視野が広がる、目の前のお茶というものから少し視線が上がったことで広がる世界というのがこの作品では観えない。もう少しお茶の外の世界を描いてくれないと。
お稽古に行く道程を描き出したってよかったじゃないか。晴れの日雨の日暑い日寒い日、その道はどのような様相を呈すのか… たまには道を変えたって、そして変えざるを得なくなる可能性だってあったはず。
お茶室に入っていくそして出ていく瞬間を切り取りたかったという趣旨はパンフレットにて読んだが、それはもちろんもっと外の世界も描いていただきたい。お茶に通じていく、そしてお茶から通じていく世界を描き出してほしい。
何気なく見ていた景色が、見てすらいなかった景色が、いつも見ていたはずなのに、見ていたと思っていたのに、全く異なって感じられる瞬間を。
そういった自分の身近にある周りにある気付きや発見を経て、自分という存在が定まっていく。これがまずはカタチから、そして中身へ…とするお話であろう。
それをせずに黒木華のアップを多用するのは、しかも割と長時間彼女の顔だけを映し出す間は、彼女という存在の主張の強さになるから、まず彼女という存在が立ってしまう。これは自分の身の回りの気付きや成長を重ねていった上で固まる彼女…というところの意味合いと逆行してしまっている様に感じる。
自らがお茶歴の最年長でありながら後輩のセンスや知識に追い抜かれ嫉妬し、自らの居場所を見失う。これにももう少し意味付けをしてほしい。
後輩の方がセンスがある、覚えが良い。気になる周りの目に何より先生の目。しかしお茶はそういった競争ではないのだと。人それぞれ出来不出来得手不得手ってのがあるもんだけど、それが全てではないのだと。それぞれの人間が辿る道に時間に差異はあるものの、いやだからこそそれぞれにその人なりに得るものがあるのだと…
〇最後に
製作陣にお茶の経験のある者が全くいなかったという話だが、作品の根幹に関わる人間の中にやはり経験者は必要だったのではないだろうか・・・
ではでは・・・
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